7月18日~7月21日参加のK様より

札幌に母子避難をして、もうすぐ3年になります。当時2才だった息子は、幼稚園の年長組になりました。主人は仕事のために福島で働いています。毎回、千歳空港まで見送りに行きますが、泣くのは主人でも子どもでもなく、母子避難を決めた私自身です。子どもを被爆させることなく、家族一緒に暮らしたい。こんな事故前は当たり前の普通の事が、原発事故後はこんなにも普通生活が遠く、遠く、願っても願い続けても実現しない、今では夢になってしまいました。理不尽な原発事故、家族一緒に暮らせない現実、いろんな思いが込み上げて、見送りながら泣いてしまう私の涙を、息子はいつも両手で力いっぱい拭いてくれます。今回は18日の夜に主人が札幌にきて、21日の朝に福島に戻りました。3泊の間札幌市内の川で川遊びをして、西区にある三角山に登りました。写真は三角山に登る、父と子の後ろ姿です。息子は父親がくると、朝起きてから夜寝るまで片時も側を離れません。いつも短い間しか一緒にいられないことを知っているので、精一杯父親の側にいたいのです。息子は気管支が弱く、福島に帰省すると、痰がからむ咳が始まり発熱を繰り返します。放射能の影響はわからないことが多く、何も症状がなく平穏に福島で暮らしている人が多いのが現実です。でも、すべての人が大丈夫ではないのです。100パーセント大丈夫なのではなく、ごく少数でも持病が悪化したり、何らかの症状がでたりして、帰りたくても帰れない子ども達がいること、母子避難の生活の中で会いたくてもお父さんに会えない子ども達がいることを、多くの人に知っていただきたいです。二重生活の上に、会うためだけにかかる交通費は家計に重くのしかかり続けています。このようなプロジェクトの存在は、大変心強く思います。この度はありがとうございました。

 

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