プロジェクト概要

プロジェクトの終了が報告されました

達成の御礼とネクストゴールについて 


皆様からの御支援により、募集終了まで日を残し、無事に目標金額を達成することができました。本当にありがとうございました。
 
終了日までまだ少しあるので、最後まで期間を走り抜けるという意味も込めてネクストゴールを設定いたしました。引き続きいただいたご支援は、白浜ホテル改築のため、大切に大切に使わせていただきます。
 
11/30(木)23:00まで、どうかよろしくお願いいたします。

 

 

他界した母が残してくれた、沖縄・名護のホテル。50年前の建物をそのまま生かして存続させたい。

 

初めまして、鈴木斎です。私は生まれも育ちもこの沖縄県名護市です。ただ、高校・大学はアメリカに留学し、その後フランスで10年ほどシェフとして働くなど、人生の半分は海外で過ごしてきました。

 

4年前、50年の長きにわたり名護の地でホテルを切り盛りしてきた母のもとに戻ってきました。そして少しずつホテルの仕事を学んだのですが、今年4月に母が他界。私がホテルを継ぎ、歴史あるホテルを繋いでいくために奮闘しています。

 

白浜ホテルからすぐそこにある名護ビーチ

 

このたび、ホテルの建物の老朽化が進んでいること、また、これまでは素泊まりのみの宿でしたが、ホテル内に朝食やウェルカムドリンクを提供できる場を設けたいという思いがあり、改装工事をすることになりました。

 

しかしそのための費用の一部がまだ不足しており、クラウドファンディングへの挑戦を決めました。プロジェクトをきっかけに、白浜ホテルをより多くの人に知っていただきたいという思いもあります。みなさま、応援のほどよろしくお願いいたします。

 

初めて白浜に泊まりにきていただきました本土からのご夫婦です。
3泊していただきました。
​沖縄がお好きで白浜ホテルのノスタルジックな雰囲気も気に入っていただけました。

 

 

なぜか懐かしい。アメリカ統治時代の沖縄にタイムスリップしたような、独特の古民家ホテル。

 

白浜ホテルが開業したのは、まだ沖縄が日本に復帰する前の1968年です。母が、立ち上げ以来ほぼ一人で切り盛りしていました。創業当初からしばらくのお客様はアメリカの軍人さんが多かったのですが、1972年に沖縄が日本に復帰すると、日本人のお客様も増えました。

 

ただ、母が年を取ってからは体力的な限界もあり、開店休業のような状態になっていたのでした。しかし4年前、私が日本に戻ってきたとき、母から「このままだと建物の維持費もなく、次の台風で壊れてしまう」と相談を受けました。

 

私自身、今の沖縄には珍しい貴重な古民家である白浜ホテルをこのまま失うのはあまりにもったいないという思いもあり、一念発起。現状を打開して再びホテルとして立て直すべく動き出しました。

 

毎日営業できる体制を整え、宿泊予約サイトにも登録。今では、お陰様で10室満室をいただく日が続き、ホテルは盛況を取り戻しています。海外からの個人観光客も増えましたが、なぜか「懐かしさがある」とリピーターにもなってくださる方も多いです。私は亡き母のぶんまでホテルの経営を頑張ると決めて働いています。

 

202号室。沖縄の自分の部屋のようにくつろいでいただきたいと思っています。

 

 

私が感じる、白浜ホテル「3つの魅力」。

 

■チャンプルーな建築

チャンプルーは、沖縄の言葉でまぜこぜという意味。要所に、沖縄らしさとアメリカらしさが混ざっているのです。屋根は、赤瓦やセメント瓦といった、沖縄の特徴的な瓦を使用しているのですが、外観は60〜70年代のアメリカの建物のよう。内部も、10あるお部屋は基本は和室ですが、例えばお風呂はアメリカ式で、タイルを使用しています。

 

お帰りなさい!また今年もお会いできましたね。
そんな挨拶をかわせるお客様を増やしたいと思っています。

 

■見かけは民宿、でもサービスはホテル

規模としては民宿に近い白浜ホテルですが、「人様のお宅にお邪魔している感覚」はなく、程よくほったらかされ(笑)ます。しかし、毎日のシーツ交換やハウスクリーニングは徹底し、お客様がお部屋に戻ってきた時には快適に整えておきます。

もともとはアメリカ統治時代の名残で、あの頃は「宿=ホテル」だったので白浜ホテルと名付けたのだそうです。3年前に母と白浜を立て直し始めてからは「ここホテルじゃないよ」と指摘する新参のお客様もいて、母は名称を変えるべきなのではと迷っていたのですが、私はあえて堂々とホテルと名乗るべきだと伝えました。

 

お客様のthank you note(感謝のメモ)は
とても励みになります

 

■これまでホテルを守ってきた母の存在

今でも、泊まりに来てくださったお客様に「おばあちゃんがいるはずなんだけど。。。」と聞かれます。リピーターにはもちろんのこと、レヴューを見てきた新規のお客様にも。母は恥ずかしがり屋だったし、英語が特にできるわけではなかったのですが、やはり母の存在は大きかったのだと思います。

 

4月に他界した母です。
白浜を3時間以上離れることなかった母が、
ヨーロッパに住んでいる私たちを訪ねて来てくれたときのミラノでの一枚です。
母の写真はこの一枚だけしかありません。
とてもシャイで頑張り屋の母でした。

 

やんばる(沖縄本島北部)と白浜ホテルをこよなく愛した母の意志を引き継ぎ、より魅力あるホテルにするため、改築に挑みます。

 

今回は、古くも味のあるチャンプルーな建物を生かしつつ、これからも長く使えるものにするために改築を行いたいと考えています。

 

改築のポイントは、新たに「共有スペース」を作ることです。

 

 

■午前中は宿泊客に朝食を提供

ホテルの周りには朝食を食べるところがコンビニしかなく、困っていらっしゃるお客様も多いのです。今までは素泊まりで運営してきましたが、私自身シェフとして働いてきた経験を生かして、朝食もお出しできるようにしたいのです。

 

■午後はウェルカムドリンクをお出しできる受付に

母が若かった頃は受付として使用していた部分がどんどん住居部分になり、今ではお客様には直接外で対応してお部屋にお通しするしかない状態で、不便に感じています。

 

■夕方からはバーラウンジに

外に出る煩わしさはなく気楽にお酒を楽しめる場があれば、海外の方や一人旅行・出張の方にも重宝いただけるのではと思っています。また、ここは誰でも自由に出入りできるラウンジとして、観光客と地元住民との交流が図れる場所にするつもりです。沖縄の人、特にやんばると呼ばれるこの地域の人々の楽しみは呑むことです。3000円の服一着は高いけれど3000円の飲み代は疑問に思わないおおらかな性格の人が多いのです。

 

華やかなリゾートホテルとはひと味違う、ノスタルジックな雰囲気を未来にも。

 

海外からの旅行者の増加で、沖縄は今なお、リゾート地として発展を続けています。2016年の観光客は877万人にものぼります(2011年は553万人でした)。特に中南部は開発が進み、日本の地方都市と変わらない便利さと都会的な建物の大都市になりました。

 

ただ、白浜ホテルがある沖縄北部・名護は、開発はされているものの人口も少なく、まだまだ沖縄らしさの残る自然の多い地域です。白浜ホテルはこれからも、古き良き沖縄の良さを今に伝える場として、宿泊客には安眠とアットホームな心地良さ、地元住民には懐かしさと居心地の良さを提供していきたいと思っています。

 

今回の改修は、そのための大きな一歩にしていきます。みなさまどうかご支援のほど、よろしくお願い申し上げます。

 


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