■大堀相馬焼は東北地方唯一の古窯


 屈指の窯業地
大堀相馬焼の起源は江戸時代、元禄の初めにさかのぼります。地元大堀の半谷休閑の家僕左馬が相馬中村で陶法を学び大堀に帰って茶碗や日用雑品の焼成に成功したのがその起源だといわれています。 大堀村は地味の悪い山間地でした。煙草作りなどでようやくの生活を維持しており、半谷休閑は窯業を「一村の大業」として育てました。以後、地元の重要な産業として根をおろしていきます。焼成技法がまだ一般化されていない時代であっただけに、藩はその技法の他国流出を恐れ、きびしい保護対策を講じました。見習、弟子を制限し「一子相伝の誓」を固守しました。
しかし、明和四年(1767)上杉藩藩主上杉候によって研修を命ぜられた山形県米沢の相良作兵衛を受け入れた事がきっかけとなって一子相伝の誓は徐々に
解かれていきます。


相伝の誓が解かれるにしたがい、対外的な交流も多くなり、加えて一般庶民が焼き物を手掛けるという時代が訪れてきます。焼成技法は一般村民の生活の糧として即座に結び付き積極的に伝習されるようになりました。このことが地場産業として焼き物が根を下ろした背景とも言われています。宝永年間には焼き物生産に従事するものが百戸ほどあったそうです。 このようにして産地が形成され、技法も内外の利点を取り入れ独自のものを確立、東北地方ではもっとも発達した窯場で、隣県への技術指導も多くなされました。 大堀相馬焼は東北地方唯一の古窯、屈指の窯業地であったといえます。

 

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