【プロジェクト終了のご報告】中央スラウェシ島ナモ村学校完成!
【被災地の声に応える!インドネシアの災害で失った学校再建に力を】
プロジェクトにご支援下さった皆様へ感謝を込めて
プロジェクト終了をご報告します。
本プロジェクトが皆様のご支援で当初の目標額を150%も上回って達成した2019年9月27日の翌日は、正に中央Sulawesi島を震源とする大地震による複合被害が起きた日から1年目の事でした。
予想もつかなかった世界的な感染症による物理的な分断の影響を受けながらも、プロジェクト開始から2年間が経過した2021年12月、念願のマドゥラサ(インドネシア教育には欠かせない宗教団体が運営する補完的学校)が中央スラウェシ島シギ県ナモ村に完成致しました。こうしてプロジェクトが無事完遂出来たことは、すべて、遠隔での通信下において最大限協力をし続けてくれた現地の人々と長い期間待ち続けて下さった支援者の皆様のお陰です。心から感謝しますと共に、正式にプロジェクトの終了をお伝えさせて頂きます。温かいご支援を頂きました皆様、誠に有難う御座いました。
【プロジェクトの経緯】
2018年9月28日午後6時2分43秒、中央スラウェシ州の州都パルから北へ約78㎞を震源とするM7.5の地震が発生し、それに伴い大規模津波がパル湾を襲いました。内陸部ではかなりの広範囲で地震による揺れが観測され、パル市に3か所あった政府住宅開発地区で液状化が発生し、地震・津波・液状化により約5,000人近い犠牲者と1,000体以上の判別不可能なご遺体の存在があるとインドネシア政府は発表しました。出典
被災後の現地に入った私の目に飛び込んで来た惨状はいつまでも忘れる事が出来ず、前日までいつもの様に家族や友達と過ごしいた幸せな日常が奪われた被災した現地の人々の健気な姿がずっと心を締め付けていました。
同じ災害多発国の運命を背負うインドネシアと日本。それぞれ国の対応手法が違うため、あちこちで起こる被災地と支援側とのジレンマの狭間で、現地の人々は自分にできる事を精一杯しながら日々を過ごしていました。
カオスとも言える現状の中、毎日のように”自分がどうしたら被災された人たちが嬉しいと思うのか”を考え続けていましたが、自分たちにも様々な制約がある中ではそれを実現する術(すべ)がなく、しょんぼりしていた私の気持ちを温かくした光景がありました。
それは、被災地のインフラ復興のために土砂や物資を運ぶ列をなすトラックの運転手たちがクラクションを鳴らしながら私に手を振ってくれる姿でした。なんで私に手を振るのだろう・・と考えを巡らしましたが、遠くにいる彼らに見えたものは私のユニフォームについた日本の国旗だったのだろう、と思い至りました。
「日本から応援に来てくれている。」
それだけでも、彼らを笑顔にする事が出来るという事なのだろうか、と。
白い歯を見せて手を振る彼らとクラクションの音が、自分勝手に沈んでいた私の気持ちを一瞬で変えました。私は、日本人として彼らに求められていることをやっていこう、と決めました。
皆様が想像する通り、現地の復興には色々な障壁がありました。
特にインドネシアが抱える政治的な問題や地理的な特徴なども相まって、復興への手助けが行き届かない場所が沢山ありました。複数の地域を訪れましたが、皆日本からの支援を必要としていました。どの地域も、厳しい状況であることは十分理解できました。
その様な中、私が震源地から遠く離れたナモ村に支援を決めた理由は、当時数少ない教育者として村人たちの良識を率いていたエルウィンさんから「遠くから助けに来てくれる皆さんのために自分たちも自立して復興の努力をしたい。できる事は自分たちでするので、再建の目途が立っていない学校を取り戻す手助けをして欲しい。」という提案に強く共感したからでした。
学校再建プロジェクトを立ち上げる時、現地でレンジャー団体を組織するイスムさんとパル在住のジャジャンさんに相談しました。彼らは私の提案を快く協力を引き受けてくれ、日本からの寄付を募るために必要な作業にも理解を示してくれました。ここでは、今まで皆様に共有したことのない準備段階で撮影された写真をいくつかご紹介します。
皆様からのご支援のお陰で目標金額以上に集まった資金を手に建設開始に向け村人たちとの話し合いが始まりました。当初、数か月で建設を終わらせる!という心強い村人の言葉の通り、建設プロセスは順調でした。ただし、建設を開始したのが雨季であった影響のため、木材の乾燥に時間を要した事と度重なる洪水により村と下界をつなげる山道の寸断により、工事を見合わせなくてはならない場面がしばしば出て来ました。現地で指揮に当たってくれていたイスムさんも各地で起こる災害対応のために村を離れることが多くなり、進捗が遅延し始めました。
※建設過程の概要はショートムービーで皆様に共有致します。
そんな中でも、私たちチームとのコミュニケーションを粘り強く取り続けてくれた現地パル出身のジャジャンさんの献身的な努力のお陰で、建設を最後までやり遂げる事が出来、現地政府やイスラム団体との協働の確約も取り付けてくれ、立派な完成式も執り行ってくれるまで運営してくれました。
現在、学校では毎日午後の3時間を使って授業が行われています。
日本と違い、東南アジアの、特に低所得地域に住む子供たちにとって勉強の機会は貴重で且つ楽しい時間です。能動的に学習する子供たちの目の輝きに出会う度に私たち日本人が失った何かを考えさせられます。
【学校の運営について】
この先の学校運営は現地に委ねます。
まだ足りない備品などがあるようですが、少しづつ取り揃えていけるよう寄付をする予定です。
ナモ村にあった学校が再現出来たことで、ナモ村の子供たちが再び共に学び、共に成長する場が帰ってきたことを信じ、インドネシアの、そして世界の将来を担う子供たちが未来に羽ばたいていくことを遠くから見守っていきたいと思います。
【支援金の使い道】
Readyforを通じて達成した総資金3,565,000円の内、Readyforシステム利用料17%に相当する654,534円を差し引いた2,910,466円を全資金とし、学校再建プロジェクトを開始しました。現地人3名の謝礼、旅費・宿泊費などに約400,000円、リターンやプロジェクト運営のために使用した日本でのコストに約65,000円を除いた全ての金額(約2,450,000円)を学校再建とナモ村で働いてくれた人たちの日当とリターンの作成に充填しました。現地レート換金で生じた差額や送金手数料、その他ジャジャンさんに追加支援を依頼した資金はプロジェクト実行者が別途補填致しました。
【リターン発送予定につきまして】
リターンの内、現地からの写真を使って作成したサンクスカード(プロジェクトページでは「ポストカード」と表記しましたが、チームからのメッセージを挿入した冊子形式に仕上げました)は、現在発送の最終段階に入っております。発送作業が完了した段階で別途担当者からお知らせをお送りします。尚、ネームプレートを同時に選択されている方は、現地からのお写真を添えての発送になりますので、下記にありますネームプレートリターンの説明もお読み下さい。
サンクスムービーを選んでくださった方、只今絶賛編集最終段階です。写真やメッセージでは伝えられない建設プロセスや現地の美しい光景を動画で編集していますので、もう少々お待ち下さいませ。また、受け取り方法に関しまして、担当者より連絡が入りますので、ご自身の動画再生環境などを考慮して頂き、動画受け取り方法を選択して頂くことになります。
現地学校に掲げるネームプレートは現地で仕上がりを確認しているようです。しかしながら、ジャジャンさんの実のお姉さんが4月11日にお亡くなりになったとの事で少なくとも1週間の喪に服すことになりますため、詳細は追って報告が入る予定です。加えて、インドネシアは現在ラマダン期間中ですので、作業の進捗が通常の3分の2程度まで減速しますことをご理解頂けますと幸いです。学校への設置が報告されますまで今しばらくお待ち下さいませ。
【今後の情報配信につきまして】
Readyforの手順上、一旦ここでプロジェクト終了の区切りとさせて頂きますが、関連するご報告は継続してアップ致します。Facebookのコミュニティに入ってくださっている皆様も同様に配信を続けますので、引き続き報告を楽しみにしてくださいますと幸いです。
最後になりますが、改めましてこの度プロジェクトの終了をお伝えできる喜びをお伝えし、ここまで支えて下さいましたすべての皆様に心からの感謝をお伝え致します。誠に有難う御座いました。
Sulawesi Bangkit
チーム一同
文責:プロジェクト実行者
青野 美香