「あそび場」と聞くと、十中八九、その対象は「子ども」と想像されるのではないだろうか。
もちろん、答えはYES!だ。
でも、子どもだけじゃなく、大人にこそ、あそび場が必要である
今回はそんな主張を書いてみたい。(※4年前に書き留めた文章がベースになっています)

 

 

IDEO創設者のDavid Kelley氏のTEDスピーチに、「How to build your creative confidence」というものがある。
この中でDavid Kelley氏は、
「クリエイティビティは限られた人だけが持っているものではない」
「多くの人たちが「自分はクリエイティブなタイプじゃないんだ」みたいなことを言いますが、そんなことないのは分かっています」
と述べている。
人はおしなべて創造的であり、それが「クリエイティビティに対する自信(=Creative Confidence)」を失っているだけである、ということだ。それも、学校や職場を通過するごとに。

 

この「Creative Confidence」を取り戻すために、または失わないために、「子ども」という存在はものすごいパワーを持っていると思う。

 

■子どもが生まれながらに持つ驚きのCreative Confidence

子どもをもつと、日々驚かされること尽くしだ。子どもが3才くらいだった頃の驚きを幾つか挙げてみる。

 

・そこはかとないアクロバティックな動き
実家に横長のソファーがあり、背もたれの後ろにはベッドが置いてある。この環境で子どもは何をするか?ベッドに乗っかって、背もたれの上からダイブするのだ。それも、あえて勢いをつけて、回転も加える「ジャンピングでんぐり返し」。1回転目はソファーの座席部分に落ち、2回転目はソファーの下に落ちてぐるっとまわる。かなり危なっかしい。
「できないことはない」という圧倒的な自信と、「とりあえずやってみる」というプロトタイプ型の思考、そして未知の世界を楽しむ冒険心をひしひしと感じてしまう。頭だけではなくて自らの等身大の身体で体感する「身体性」も持っている。
近くの公園で、初めて見ただんご虫も躊躇なく触る。

 

・家に大アスレチックが建設される
家にあるおもちゃに飽きても、いつの間にか、椅子や座布団・絵本を並べたり、布団を敷いてクッションにしたりで、アスレチックをつくりあげていたりする。
登ったり、降りたり、渡ったり、飛び降りたりする。僕自身もたまにアスレチックの一部(椅子とソファーを繋ぐ橋)にされる。
また、市販の与えられたものは比較的早く飽きることが多いけれど、自分で創ったものやあそびは、夢中に繰り返しあそび続ける。アスレチックの形もいくらでも自分でつくり変えられるので、あそび方は無限大。
彼女は、家の家具、小物、人、自然といった「既にそこにあるもの」を活用して空想し、自分で「あそび場」や「あそび方」をつくる、ということができるのだ。それも、一般的に決められた使い方ではなく、前例・制約を越えた思いもよらぬやり方で。
ちなみに、Mac book airのパソコンケースも頭から被ったりする。

 

■「子どもから学ぶ」ことが、結果的に「子どもの創造性を失わせないこと」に繋がる

このような「こどもごころ」は創造性の宝庫だ。
「子どもから学ぶ」という姿勢や機会は、大人が社会と交わる中で失いがちな「クリエイティビティに対する自信(=Creative Confidence)」を取り戻すための強力なレバレッジポイント(介入点)になると思う。

 

さらに、「こどもごころ」を思い出し、大人がCreative Confidenceを回復することで、そうなった大人は、子どもに無闇矢鱈に既存のルールを押し付けないようになるのではないだろうか。結果として、子どものCreative Confidenceは失われずに成熟を続けていき、大人も子どもも創造的に、自分たちや身の回りのことをより良くしていく社会に向かっていく。

 

逆に、Creative Confidenceを失った大人は、自らの常識や成功体験の範疇から、「ダメでしょ」「やめなさい」「危ないわ」とか、(天才が育つというグッズを与えて)「これをやりなさい」と言うようになる。これが積み重なると、子どものCreative Confidenceはどんどん萎縮していくことになる。

 

■「大人も子どももあそび合い、学び合う」場

例えば放課後や休日、親が子どものあそびに付き合う際に、自分は暇だけれどまぁ仕方ない(でも、そろそろ帰りたいなぁ。やることもあるし。)という風に感じる状況はないだろうか?
これは、「子どもはあそんだり学んだりすることがある」けれど、「親は面倒見ているだけ」という1:0の構図が続いた場合に起きるように思う。
そんな時、「まてよ、子どもから学ぶこともいっぱいあるぞ」と捉え方を変えてみると、子どもも大人も、より楽しく、学びに溢れる時間に様変わりするかもしれない。

日常の子育ての中でも捉え方一つでぐっと変わるものだと思うし、身近なところに「大人が子どもから学ぶ」「大人が子どもと一緒にあそぶ」「大人もあそんで(時には子ども置いてけぼりくらい没頭)、その背中を子どもたちが見て育つ」という場があったら。。

 

子どもは「こどもごころ」を、大人は「おとなのせなか」を、互いに全力で発揮し合いながらあそび、学び合う。
こんな場がそこら中に生まれたら、最高にクレイジーだ。

 

 

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