
私と新宮のドクトル、和尚との出会い
新宮出身でない私が、なぜ大石ドクトルにこだわってこんなことを始めたのか?必ず聞かれる質問です。十年ほど前、縁有って紀州新宮という町に出会い、大石誠之助の物語を舞台化したいと思うようになりました。それは、ある賞を受賞しての脚本家デビューの時、近畿大学の名誉教授で故中上健次氏と同僚だった大橋氏より、「千年の愉楽」を舞台化したいという話を打診されました。しかも、岸田今日子さん主演で。私は中上作品と言えば、現代ものの「軽蔑」「日輪の翼」しか読んだことがなかったのです。「千年の愉楽」の世界、明治から昭和初期へとはっきり分からないまま時代が動き、オリュウノオバというお産婆さんが見守る路地の世界は、昏さと日の光の眩しさの陰影がくっきりとした神話のようでした。その不思議な文体と描かれた世界の悲劇性にとりこになりました。気が付くと、その路地の世界にはある護符が張られています。ドクトルという名の医者、浄泉寺の縊られた和尚という二人の死者の姿があちこちに見え隠れするのです。彼らとはいったい何だったのか?オリュウノオバの舞台が終えても大石ドクトルについての興味が更に深まりました。しかし、その頃(9年前)にはそれほど誠之助についての資料は簡単には手に入りませんでした。研究者でも関係者でもなりフリーのライターがそのような資料を見られるチャンスは少なかったのです。デビュー以来、ずっと一匹オオカミのライターだった私は、コネクションを全く持ちません。そうこうするうちに、大逆事件の百周年という時期が通り過ぎていったのです。新聞などでも取り上げられ、そのうちに特集記事や資料集が関係団体から発表され、国会図書館に通わなくても、多くの資料に触れることができました。それに、ネットでの古書の取引が非常に便利になったことも助かりました。そうでなければ、このように太平洋食堂について調べることはきっとできなかったでしょう。手に入った「大石誠之助全集」を読みながら興奮しました。それはとても面白かったからです。(紀勢線で熊野川を渡り新宮駅へ入る直前)
リターン
3,000円
新宮公演プログラムに御名前を掲載
- 支援者
- 65人
- 在庫数
- 制限なし
10,000円
新宮の上演パンフレットへの記名
新宮公演のチケット1枚
- 支援者
- 46人
- 在庫数
- 制限なし
30,000円
新宮公演パンフレットへの記名及びメッセージ記載
新宮公演チケット3枚
- 支援者
- 12人
- 在庫数
- 制限なし
100,000円
新宮公演パンフレットにA4サイズ6分の1ページ広告を掲載
東京公演3枚、または新宮のチケット5枚
- 支援者
- 2人
- 在庫数
- 制限なし
300,000円
新宮公演チラシ(1万枚配布)裏面に6分の1スペースに広告掲載
新宮、東京公演パンフレット3分の1ページに広告掲載
東京公演8枚又は新宮のチケット12枚プレセント
- 支援者
- 1人
- 在庫数
- 完売