【東電テレビ会議49時間の記録】実行委員会メンバーから、当上映会への思いを語っていただきます。

トップバッターは、長年、平和運動こそライフワークと核廃絶運動に傾注してきた佐々木俊司さんです!

 

 

 

 

 

(20121227 初めての被災地ボランテイアで石巻に。傷痕はまだ深い。ー 場所: 石巻)

 

3.11は人生を大きく変えた。

 

平和運動こそライフワークと核廃絶運動に傾注しながら、課題になっていた原発問題がまったく疎かだった。まさかこれほどまでに日本の社会を蝕んでいようとは!

それまで幾つもの団体の事務局を抱え、東奔西走する体が悲鳴を上げた。2010年血液のがんでついに入院。抗がん剤の影響か24時間寝ないでもいいほどのハイな高揚が退院とともに反動が襲う。

 

半年後の3.11、僕は自宅の布団の上にいた。テレビから流れてくる現実は、東北みちのくの信じられない悲劇だった。被災地に行きたい何かをしたいと思う一方で、どうにもならない体、気持ちは沈んでいくばかりだった。
やっと外に出られたのは10月下旬、時雨の出羽古道を8時間歩けたという自信だった。年の暮れの27日鶴岡は大雪だった。その日僕はようやく被災地石巻に立った。年明けの3.11には厳しい放射能汚染に苦しんでいた福島の地にいることも出来た。

 

 

(20121109。フクイチから6キロの警戒線地・小高。制限区域のため家屋も車も手付かずのまま放置されている。ー 場所: 小高)

 

 

僕は生まれも育ちもみちのく人。誰が忘れようとも誰が無視しようとも、僕は最後の最後までフクシマとともにありたいと願っている。

 

 

(やっと念願のフクシマに入ることが出来た、一年目の3.11。福島県民の母なる川、阿武隈川ほとりでcandle night。鶴岡で初めての取り組みに連帯、午後7時一緒の時間に灯した。ー 場所: 郡山)

 

 

原発事故はこれまで知らされてこなかったこの国の様々な病根をあぶり出してきた。けれどもこの病根はとてつもなく深く強靭で、三年になろうとする今でさえ事故の真相にすら迫れないでいる。知りたい情報は闇の中だ。

 

カネよりもイノチ、国の未来の前に子どもたちの未来―。この当たり前のことが当たり前のように考えられる、そんな社会であって欲しい。そうした社会に近づくはじめの一歩、それがこの度の上映会成功だと僕たちは確信と決意を固めている。」