昔からずっと思っていたことがある。いつか、死ぬ時は夏の終わりの夕暮れがいいと。西陽のさすベランダに置いた椅子にもたれ、蜩の音を聴きながら静かに息を吐き目を閉じる。

病院のベットで息を引き取った母はどうだったのだろう。おそらく母も、その時のことを想像くらいはしていたのに違いない。

そして、それはきっと、澄みきった秋晴れの空へ、静かに吸い込まれるように昇っていきたいと願っていたような気がする。

その想いのとおり、母は目蓋に眩しい青空を感じながら逝った。そう、死ぬなら今、今日しかないと念じたのだ。

 

ただ、一つだけ私には悔いが残った。それは、母が息を閉じる瞬間を見届けることが叶わなかったこと。

その日の午後、看護師長から電話があった。午前中は何ともなかったのに急に容態が悪化した......、と。それが一三時一七分と、病院の記録にある。

取るものも取りあえず私は母の元へ向かった。だが、どうしてだか、途中でガソリンを入れにスタンドに寄っている。

一昨日から点灯していた燃料燈が気になったせいもあるが、何より、昨日まで全くその兆候を見せていなかった母が、まさか......、という安易な気持ちが無かったとは言えない。その、わずか数分のために、私は母に声をかけることを許されなかったのだ。

つまり、これは母が私に与えた最後の教訓にほかならないと思う。

< 略 >

親の死に目に会えるとか会えないと言うけれど、心底それを望むのは、逝く前の親の方であろうかと思う。この世の最後に見るべきものは、自分が生きた証しである子供の姿であり、それを目に焼き付けて死門へ向いたいと念望するはずだから。

 

 

幼い日に聴いた童謡や子守唄のような本をつくりたい......。

そんな想いで書き進めてきた母の手記を終え、今ようやく筆を置くに至りました。
母親との思い出や故郷の記憶は皆んな様々で違っていても、あの懐かしい歌に触れる時、不思議と誰もが同じ情景と郷愁を心に見ることが出来ます。
そんなふうに、このささやかな物語が、誰かの心を慰め励ますことを願っています。

 

著者拝

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