維持が困難になった小さな神社を大きな神社の小宮として移築したい

維持が困難になった小さな神社を大きな神社の小宮として移築したい

支援総額

1,033,000

目標金額 1,000,000円

支援者
71人
募集終了日
2024年4月4日

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プロジェクト本文

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▼地域の紹介

 

当地は京都北部の丹後半島の付け根にある人口2000人余りの小さな集落です。下の地図で御覧の様に天橋立のすぐ近くです。

 

 

岩滝口駅とある場所が宮津市字須津(旧 吉津村)で、赤丸が大川神社の位置です。

 

 

 

地図の写真です、上の方に天橋立が見えます。

 

 

文殊方面から見た天橋立です。飛龍観と言い、龍が天に昇ると姿と言われているそうです。

 

 

対岸へ続く松並木は3.5kmあり、8000本の松があります。

 

▼私のプロフィール

 

私は京都府北部の田舎町に住んでいる河嶋義彰という今年で78歳になる年寄です。

大川神社との関わりは十年ほど前から大川神社奉賛会の副総代をしています。

職業は建築設計をしてます。その関係で常にPCを使っていることから、総代長(尾関)に代わってクラウドファンディング関係の業務を引き受けています。

本文の中で紹介します須津彦神社の総代長も3年間務めた経験があります。

勝手な御願いを申し上げますが、しばらく御付き合いくださいますよう,お願い致します。

 

▼大川神社の紹介

 

 

後ろの小山の上に神社があります。

 

 

下から見上げたところです、階段は75段あります。

 

 

上の鳥居。奥が拝殿・本殿、テントは例祭の準備のためです。

 

 

拝殿と本殿

 

 

左が拝殿、右が本殿

 

 

例祭の準備に集まった仲間、前列右端が尾関総代長です

 

▼プロジェクトを立ち上げたきっかけ

 

私達の地域には4つの神社がありますが、私達が守っているのは大川神社と言い、極小さな神社です。

この他に愛宕神社と山の神神社という小さな神社と、地域の中心的神社である須津彦神社があります。

大川神社は安産の神様と言われ結構参拝者もいたのですが、最近になり省みられることなくなってきています。

大川神社の周辺に住まう私達30軒で大川神社奉賛会を組織し神社を守ってきました。

 

参拝者が減っても、年に一度の例祭は欠かさずやり、境内の清掃、施設の維持管理をやってきましたが、当地も御多分にもれず少子高齢化が進み、体力的にも資金的にも管理維持が困難になって来ています。

現在は何とか維持出来ていても、今後10年、20年先のことを考えると絶望の感がします。

それで思い切って、大川神社を須津彦神社の小宮として移転することを考えました。

 

大きな神社の境内には小さな祠があるでしょう。其れが小宮であり、小宮には摂社と末社の2種類があります。

摂社と言うのは、その祭神が移転先の神社と関係がある場合の呼び名であり、関係はなくとも移転する場合は末社と言います。

須津彦神社にはすでに8つの小宮があります。

それは明治時代の初めのころ、近くにあった神社を移したのです。

小宮の中でも、宇多和津神社と稲荷神社については今でも毎年例祭をやっています。

大川神社も何とか例祭だけは続けられる様にしたいと考えています。

 

▼移転先の須津彦神社の紹介

 

須津彦神社の正式名称は次の通りです。

延喜式内(平安時代) 阿知江磯部神社

 

 祭神 去来穂別天皇(履中天皇)  →須津彦大明神

    久呂比売命(履中天皇の皇后)→須津姫大明神

 

須津彦神社の建立は祭神である履中天皇の孫にあたる弘計皇子(後の顕宗天皇)と億計皇子(後の仁賢天皇)が少年のころ雄略天皇の迫害から当地へ逃げてきて建てたと言われている古い神社です(西暦500年頃)。

(史実 ウイキペディアより)

父の市辺押盤皇子が大泊瀬皇子(後の雄略天皇)に殺されると兄の億計皇子と共に逃亡し身を隠した。

最初に丹波国与謝郡(京都府丹後半島東半)に行き、後には播磨国明石郡や美嚢郡の志染の石室に隠れ住んだ。

 

 

須津彦神社の正面

 

 

須津彦神社拝殿、奥の千木がある建物が本殿(高床式で明治24年に建て替えられました)

 

 

須津彦神社には8つの小宮が祀られています。

大川神社の小宮もこの近くに建てたいと思います。

 

▼プロジェクトの内容

 

既存施設撤去処分    社殿(拝殿・本殿)・倉庫・鳥居・狛犬・灯篭など  約100万円

須津彦神社に小宮新築 (木造・銅板屋根)1.5㎡   約80万円(基礎共)

経費(祭祀費共)    約20万円

直接の工期  2か月

準備期間を入れて 6か月の工期を見ています。

石段については山の持ち主の了解を得て、そのままで良いことになっています。

最も、現在の大川神社の境内は、津波があった場合の避難地に指定されています。

 

▼プロジェクトの展望・ビジョン

 

幕末に建てられた大川神社は、100年ほど前に旧吉津村の肝いりで現在の場所に移築されました。須津彦神社(氏神神社)の例祭(村祭り)でも大川神社の前では祭礼が行われるなど大切にされています。

当然ながら、大川神社を移築するには自治会にも須津彦神社側の了解も取り付けねばなりません。

移転を受け入れていただく須津彦神社の総代長、小谷廣範氏に相談したところ快く受けいれてくださいました。また、クラウドファンディングに具体的な名称を出すことも了解いただきました。

また当地区の自治会は須津彦神社の運営の最大の支援者であり、村祭りの実行責任者でもあります。現在の自治会長、小谷一典氏にも移転の実情を話したところ、理解していただき賛同を得ました。

 

移転の実務は、私自身が建築士(一級)なので、設計・工事監理などは問題なく進めることができると思います。

ですが、資金調達に関しましては大いに問題があります。

奉賛会の蓄えはすでに底をついており、会員の寄付に頼ることになりますが、廻りの関係者を含めても100万円くらいより望めません。

クラウドファンディングにより、100万円の資金を調達できれば、何としてでも、移転事業は成功させるつもりです。

 

▼神社(氏神信仰)を考える

 

古くは同じ一族が祀っていた神様のことを氏神と言っていましたが、後には、地域の守り神(鎮守さま)を意味する様になってきました。

氏神信仰の神は自然であり、自然と融和することで生活の安寧を求めてきました。

 

神社で豊年満作、無病息災、家内安全などを祈願したり、村祭りなどをして地区民の融和を図るのも氏神信仰の姿です。

また、七五三、初詣、節分、神前結婚など日常生活に溶け込んでいる沢山の習慣があります。

都会では、小さな神社は町の片隅に追いやられて目立ちませんが、地方では、その地域毎に神社があることは皆が知っています。

私達日本人は特に神社を意識していなくても神社信仰の心を受け入れているのです。

 

世界のキリスト教徒が聖書を大切に思う様に、イスラム教徒がアラーの神に従順であろうとする様に、私達日本人の根底には神社信仰を思う気持ちがあり、それが日本人の心のルーツとも言えるでしょう。

また現代社会では個人の権利・自由が尊重されます。しかしながら究極の権利・自由は、その人を閉塞感、孤立感に追いやることにもなります。

 

そうした中で、人々は逆に共認できる何等かを求める様になります。そのはけ口としてオーム真理教の様なカルトに向かうこともあるでしょう。

ですが、神社信仰は、そのギスギスとした心を包んでくれるオブラートにもなるのではないでしょうか。

私たちの大川神社は、取るに足らない小さな神社ではありますが、放置して朽ち果てさせるには忍びず、地域の歴史・文化として存続させたく思います。

 

 

▼ここで、須津彦神社の例祭の様子を動画で紹介します。

(以下の動画の掲載については著作者のsaitou氏並びに黒岡伸光氏の承諾を頂いております)

 

 

御旅行列と言い、祭りの最初に神輿に乗った神様が氏子を連れて域内を一巡される儀式です。

 

 

太刀振りの奉納です。太刀振りは丹後地方で最も盛んに行われている郷土芸能です

 

 

 

神楽舞(実際は獅子舞ですが、祀りなどで神様に奉納する場合は神楽と言います)

この動画は少し長いです

 

 

須津彦神社の例祭(村祭り)は古書に記録されている時代からでも500年以上続いています。

 

▼最後になりますが、支援のメッセージを紹介します

 

須津地区自治会長 小谷一典

 大川神社は当地区にある神社の一つで安産の神様として親しまれてきました。その神社を維持されてきた方々から、もはや維持すること     

 が困難になってきたと聞きます。大川神社を作る時には、旧吉津村も関与していたと聞きます。

 当自治会としても、協力は惜しみませんが、何分、提供できる予算には限りがあります。

 どうか、皆様方におかれましても御支援のほど御願いいたします。

 

須津彦神社総代長 小谷廣範

 当神社は由緒はあっても常駐の宮司はいない神社ですが、私達、6人の総代でしっかりと守っております。

 この度、大川神社の尾関総代長から、大川神社を小宮として移転させて欲しいとの申し出がありました。

 小宮を受け入れるのは100年ぶりの事ですが、昨今の小さな神社の様相も鑑み、快く受け入れることにしました。

 皆様方の御支援も得て、移転事業が全うされる様にお祈り申し上げます。

 

 

 

 

 

 

プロジェクト実行責任者:
大川神社奉賛会副総代長 河嶋義彰
プロジェクト実施完了日:
2024年9月20日

プロジェクト概要と集めた資金の使途

既存神社施設の解体撤去費及び小宮新築を工期6か月で行い、その費用に充てる。

リスク&チャレンジ

プロジェクトに必要な金額と目標金額の差額について
大川神社奉賛会会員の寄付及び関係者からの寄付を募る

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リターン

3,000+システム利用料


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2024年12月

10,000+システム利用料


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