宅老所「生き活き家」開所15周年記念写真集をつくりたい!

宅老所「生き活き家」開所15周年記念写真集をつくりたい!

支援総額

2,181,000

目標金額 1,500,000円

支援者
99人
募集終了日
2024年3月15日

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プロジェクト本文

【達成のお礼とネクストゴールについて】

 

2月5日から挑戦していた本クラウドファンディングですが、皆様のお陰で目標金額の150万円を達成することができました!
 

この度は、たくさんのあたたかいご支援をいただきまして、本当にありがとうございました。
 

15周年のお祝いのお言葉や、達成に向けた貴重なご支援により背中を押していただいたことに、心から感謝しております。

 

さて、残り期間を約半月も残して第一目標の達成をすることができましたので、ネクストゴールとして200万円にチャレンジさせていただくことにいたしました。
 

詳細ですが、もともと自己負担を検討していたリターン費用の20万円と、写真集をより良いものにグレードアップするため、紙質向上と写真の見栄えを良くする費用として30万円になります。
 

引き続き、皆様にいただいたご支援に対して恩返しできるよう頑張りますので、あたたかいご支援のほど、よろしくお願いいたします。

 

2月26日追記

野田明宏

 

 

 

 

自己紹介

 

はじめまして。ケアワークフォトライターを生業としている野田明宏(あきひろ)と申します。

 

多くの企画の中から、ここに目を止めていただき誠にありがとうございます。

 

とはいえ、ケアワークフォトライターと名乗られても、???の方も多いはずです。簡単に言ってしまえば、老人介護最前線を専門に撮っているフォトライターと理解していただければ幸いです。在宅介護、施設介護。どこにでも潜り込んで撮り、介護雑誌等で掲載・発表してきました。食事介助・オムツ交換に始まり、入浴介助から亡くなった後の湯灌まで。コロナ蔓延下の介護施設にも感染防護服を着て撮りました。

 

 

そして今回、この企画を立ち上げさせていただいた理由です。長年、親交のある老人介護施設が開所15周年を迎えます。それを記念して写真集をつくろう、という次第になりました。

 

もちろん、15周年だけが理由で写真集にしようと企画しているわけではありません。その施設は、徳島県吉野川市にあリます。「生き活き家」という名称で、形態としては宅老所です。デイサービスありお泊まりもあります。「生き活き家」の利用者さんへの思い・姿勢については、私のご挨拶のあと代表の金岡重則氏。代表の奥さん・みゆきさんからシッカリと声をいただいているのでここでは省きます。

 

では、何を記すのか?私が「生き活き家」に好感をもつ理由。金岡重則氏に惚れ込んだ理由についてです。

 

私が初めて「生き活き家」を訪ねたのは2016年2月でした。介護雑誌の取材で出向いたわけですが、金岡氏との初対面での第一印象は「オトコマエやけど、やんちゃ顔でもあるなあ!」でした。初対面の夜、撮影も終わり、金岡氏から「野田さんメシ食いに行きましょう」と誘われました。奥さんのみゆきさん、長女の百笑(もえ)ちゃんも一緒に。百笑ちゃんは当時、幼稚園だったかな?中華料理屋さんだったと記憶しますが、大人3人はアルコールを飲みました。もちろん帰路は代行を頼んだわけですが、金岡氏のアルコールへの強さと免疫力には驚かせられました。半端なく強い。その後、別企画の取材も含めて、「生き活き家」を何度と訪ね写真を撮りましたが、その都度、誘われて二人で飲みに出ました。恥ずかしながら私が会計を支払ったことは一度もありません。

 

後々、私自身も理解することになるのですが、金岡重則という男は客人に対する礼。特に、もはや日本社会で忘れ去られようとしている”長幼の序”を身につけた強者であることを!

 

さて、初対面から早いもので8年が経過しました。百笑ちゃん一人だったのに次女、三女と生まれ、昨年6月には双子の長男次男が誕生したのです。3人家族が7人家族になりました。長男次男は、まだ喋れませんが、娘三人は金岡氏を「お父ちゃん」と呼びます。みゆきさんは「お母ちゃん」。そして、「お父ちゃん」と「お母ちゃん」の拘りなのか?長女の百笑ちゃん同様に、下四人の名前にも”笑”の文字が入っています。笑顔。とてもとても大切です。

 

金岡氏は明言します。

 

「自分の家族を大切にできない人が、他人であるじいちゃんばあちゃんの介護ができるはずがありません。職員にもこれは徹底していますし、『休ませください』を抵抗なく言える環境作りもしてきました。僕が率先して休みますからね」

 

休める環境を整えていることもあり、職員の人員配置は基準より多く、ときどき現場は、職員と利用者さん入り乱れカオス(混乱)になることも。今、職場にいないときの「お父ちゃん」は、双子にミルクを飲ませオムツ交換に汗しながら微笑み続ける日々です。  実は、ここでは金岡氏などと品よく呼称していますが、普段は「金岡の大将」と呼んでいます。そんな「金岡の大将」率いる「生き活き家」開所15周年記念写真集をつくりたい。何卒、ご支援のほどよろしくお願い申し上げます。

 

 

 

 

宅老所:生き活き家 代表 金岡重則より

 

ーー ご飯は美味しく お風呂は気持ちよく ウンコシッコは行きたい時に  やりたいことはとことん付き合い 嫌がることは無理せず ただただ普通に過ごす場所  喜び 怒り 哀しみ 苦しみ があっての日常 その日常に寄り添い  悩みためらいながら 前に進んでいこう 大事な人を大事にするために  「生きてて良かった」 ただ最後にそう思ってもらいたい ーー

 

これは、「宅老所:生き活き家」のTシャツの背中に嫁が自筆で書いた文章です。生き活き家は、皆さんにお伝えできるほどのことはしていません。ただただ、こんな当たり前の日常をつくっていきたいと日々切磋琢磨しているだけです。

 

 

宅老所いしいさん家の石井さんとの対談でも話しましたが、僕は20代で母親と弟を亡くしたり、その他諸々いろんな背景があるので、こんな当たり前を幸せだと感じるのかもしれません。 

 

 

職員にも背景があって、当然一人ひとり価値観が違います。そんな、いろいろ違う者同士が集まって、すんなり同じ方向に向くことはありませんし、今もそうではありません。でも、僕はこんな生き活き家にしたい、さあ、どうしようと思ったとき、昔の特養ホーム時代の自分の数々の失敗からの教訓や得たもの、そして、大事に思っていること、大事にしていきたいことをゆっくりと職員に語り続けていこうと思いました。

 

生き活き家は、2009年11月に、夫婦で生き活き家を立ち上げました。当初は、嫁さんとパートさん2人だったから、何をやってもうまいこといきました。来る人、来る人、みんな元気になっていったんです。やっぱり、普通に過ごせばいいんだ!と自分たちが思っていた介護が確信できて、楽しくて仕方ありませんでした。

 

開設して1年が経った頃には、定員10人の生き活き家はいっぱいになっていました。小さな借家だったので、お年寄りと職員でパンパンで、じいちゃんばあちゃんがコケる隙間もないほどでした(笑)。

     

 

Hさんのための「吉野の生き活き家」

 

そんななか、2軒目の宅老所「吉野の生き活き家」を立ち上げるきっかけになったエピソードがありました。

 

利用者Hさんは、生き活き家の隣に家に住んでいました。最初は迎えに行ってもなかなか来てくれないし、来てもすぐに出ていってしまうばあちゃんだったのですが、ごはんをつくる手伝いなどをしてもらっているうちに、積極的に来てくれるようになって他の利用者の介助もしてくれるようになりました。

 

でも、家ではけっこう激しかったようで、家族が一緒にいるのが限界になってしまったんです。生き活き家では自費のお泊まりもしていたのですが、なにしろすぐ隣だから家族も落ち着かなかったのでしょう。グループホーム探しが始まりました。

 

家族の本音は、生き活き家を利用したいというところにあったし、僕たちも、Hさんが大好きだったから「もう少し待ってくれませんか」お願いしつつ、隣町に民家を探していました。隣町で泊まるなら家族も安らぐと思ったからです。でも、早々に「入所が決まった」とケアマネジャー連絡がきてしまいました。くやしい気持ちではありましたが「すぐに迎えに行ったらええわ」と考えて、僕たちは民家を探すことを続けました。

 

グループホーム入所の日が来ました。Hさんは、あらかじめ家族から入所のことは聞かされていたはずなのですが、いつもと変わらず生き活き家でご飯づくりを手伝ってくれました。午後、グループホームからお迎えの車が来ると、Hさんは「はいはい」と言いながら、荷物を持って玄関を出て行きました。 僕たちは車の前まで見送りました。Hさんは一度も振り返らず歩いて行きましたが、車に乗る寸前、急に振り返って両手の拳を握り、下を向いて歯を食いしばって泣きました。泣きながら「本当に本当にお世話になりました」と言いました。僕たちも泣きました。そして、Hさんに「絶対、迎えに行くから待っといてな! 心配いらんから」と伝えました。

 

しばらくして、Hさんを迎える家「吉野の生き活き家」を開所することができました。僕たちは、意気揚々とHさんに会いに行きました。そしたらね‥、Hさんはグループホームにめっちゃ馴染んでいてね、めっちゃ元気でね、「よう来てくれたね、職員さん、お茶入れてあげて」って職員さんとも馴染んでてね‥。拍子抜けしたんだけど、でも、Hさんが楽しそうやからええか~って言いながら、帰ってきたんです。

           

 

向き合い続ける力  

 

そして、ここから、いろんなことが崩れ落ちそうになりました。いや、崩れ落ちました。

 

2軒目の宅老所「吉野の生き活き家」を立ち上げたことで、職員が倍以上になりました。新しい職員は、よくも悪くも個性的な人ばかり‥。あっという間に自分たちが思い描いていた生き活き家からどんどん離れていってしまったんです。

 

この個性的な新人職員の中にボス格の女性がいました。職員は、僕の言うことよりもそのボス格の言うことを聞く。なぜなら、恐いからです。僕が休憩で2階の事務所で横になっていると、嫌でも聞こえてくるんです。ボス格を筆頭に僕を批判する会話が。「きついな~」と思いながら、僕は「よし! このボス格を手名付けよう」と決めました。ボス格が僕を受け入れれば、他の職員も受け入れると思ったからです。

 

このボス格こそが「吉野の生き活き家」の現施設長:野口京子です。毎日、毎日がバトルでした。飲みに行って、たわいない話をして、僕の介護感を伝えて‥を繰り返し、ゆっくりゆっくり伝えていきました。ようやく落ち着いたな、と思ったときには3年経っていました。なんでこんな根気よくできたかと言うと、僕には、この人が同じ方向を向いてくれたら誰よりも力になってくれる、という根拠のない自信があったからです。そうでなければ、こんなしんどいバトルはできません(円形脱毛がたくさんできました)。何かを伝えることは時間がかかる、自分が楽しくいたければ向き合い続けること、僕自身が学びました。

         

 

身近なものから大事にする

 

じいちゃんばあちゃんの一番近くにいる職員が、ビリビリバタバタしていては、じいちゃんばあちゃんはゆったり落ち着くこともできません。ましてや、上司の顔色だけを見ているような現場では、大事な報告・連絡・相談なんて、できるはずがないのです。

 

職員がワイワイと楽しそうにしている現場はよい現場だと思います。じいちゃんばあちゃんも楽しそうです。介護をつきつめようと思ったとき、僕は、身近なものから大事にしなければいけないことに気づきました。自分が楽しくなかったら意味がない、家族が笑っていなかったら意味がない。そして、職員たちが‥!

 

体調が悪いのに無理して出勤する職員がいます。「来なくてよい」と僕は言います。なぜなら、僕が無理したくないからです。無理をしてつぶれたからです。そして、自分の身体を大事にできない人が、じいちゃんばあちゃんの身体を大事にすることは、できないからです。

 

家族の行事や家族に何かがあっても出勤する職員がいます。「家族を犠牲にしたら駄目」と僕は言います。なぜなら、僕が家族を犠牲にしたくないからです。家族を犠牲にして、家族が離れていった経験があるからです。そして、自分の家族を大事にできない人がじいちゃんばあちゃんの生活を大事にすることはできないからです。介護はそれだけ奥深いのです。

 

プライベートより仕事を優先する職員は、施設にとってはありがたい職員です。そんな、ありがたい職員にはずっといてほしいのです。大切な人のそばに居続けることが、僕が思うよい介護です。無理をしたり、何かを犠牲にしていては、介護を楽しいと思いながら続けてはいけない‥。こんなことを日々言い続けています。そして今、それが職員から職員へ少しずつ伝わっているような気がします。  

           

 

すぐに忘れてしまうから

 

利用者のSさんは迎えに行くと、いつも、きれいな着物を着て、玄関先で掃除をしています。少し前までは自分で縫った小袋を通りかかるお遍路さんにあげていたそうです。身体はしっかりしていましたが、認知症はだいぶ進んでいました。

 

生き活き家に来ると、料理や縫い物を手伝ってくれます。帰り際には、「息子にごはん買って行かないかん」と言うので、スーパーマーケットで買物をして一緒に帰ります。

 

ある日、いつものようにスーパーに寄り、入口を入ったところでSさんが立ち止まりました。「どうしたん?」僕は尋ねました。すると、Sさんは、「わたしな、兄ちゃんにこんなことをしてもらってもすぐに忘れてしまうんよ。だから、今、言うとくわな、ありがとう!」 涙が出ました。Sさん、ちゃんと今の自分と向き合っているんやね。「そんなん ええよ、また来よな!」  

 

 

 

生き活き家 金岡みゆき より

 

始まりは、私のじいちゃんばあちゃんでした。認知症がどんどん進んでいくおばあちゃん。そんなばあちゃんのそばにいたいじいちゃん。二人の居場所として、「生き活き家」は、始まりました。「生き活き家」という名前は、家庭的な雰囲気で、生活の場にしたいという願いを込めてつけました。ばあちゃんは生き活き家にお泊まりし、じいちゃんは、ばあちゃんに会うために生き活き家のデイサービスを利用しました。

 

2015年、実家の向かいにあるミカン畑だった土地をもらって、新しい生き活き家を建てることになりました。「いつできるん?」と楽しみにしていたじいちゃんでしたが、お尻の骨を骨折したあとは、痛みが強くて座ることも難しくなって食欲もなくなっていきました。家での生活が難しくなったので、「吉野の生き活き家」に泊まってもらうことにしました。職員は、「大好きなお酒が待っとるよ~」と、うまいこと言って食べさせてくれたり、一晩中「痛い痛い」と叫ぶじいちゃんに寄り添い手を握ったり、さすったりしてくれました。

 

そんな日々が1ヶ月ほど続いて、新生き活き家を開所するため、旧生き活き家を閉めたその晩に、大好きなじいちゃんは亡くなりました。じいちゃんは、生き活き家に5年半通いました。周りの利用者には「ここはわしの孫がしよんじゃー!」と誇らしげに言っていました。

 

私はじいちゃんの死に向き合えず、泣いてばかりで卑屈になって周りを責める日々を過ごしました。あとを追うように、3ヶ月後にばあちゃんも亡くなりました。「仲の良い2人だったけんなー、じいちゃんが寂しくて呼んだんじゃよー」って言われても、寂しくて辛くて、じいちゃんばあちゃんの死を、自分の責任のように感じました。私はただ、尊敬する金岡さんと好きな介護をして、好きなじいちゃんばあちゃんのそばにいたかっただけなのに‥。

 

介護の仕事をしていると人の死は避けられません。「関わりたくない」「辞めてしまいたい」と思うようになりました。しばらく仕事を休みました。介護から逃げたいという反面、生き活き家が気になって仕方ありません。生き活き家は、私にとって家のようなもの。通ってくれるお年寄りも、いつの間にか私にとっては、家族のような存在になっていたのです。

 

そんな大家族の家に、私は帰りました!今もじいちゃんばあちゃんの写真を見ると涙が出そうになるけど、目の前にいるお年寄りに目を背けず関わっています。死が訪れて、もう会えない、話ができない、触れられない寂しさで泣き、泣いたあとは笑って、「お疲れ様。ありがとうね」と言えるように、これからも関わっていきたいと思います。  

 

 

 

プロジェクトの内容

 

今回のプロジェクトでは、「生き活き家」開所15周年記念写真集をつくりたいと思っています。

 

科学的根拠に基づき、自立支援と重症化防止を進める介護を、科学的介護と呼ばれています。「LIFE」つまり科学的介護情報システムが、今後は注目されていくようです。しかし、介護というのは人と人が触れ合って喜怒哀楽が成立するものだと、私は信じています。

 

人手不足が極めて深刻な介護業界ですから、多少のロボット化も必要かもしれません。とはいえ、老いて、肌と肌との触れ合いから「嗚呼!生てて良かった」と思えるのではないでしょうか?そんな実践を「生き活き家」の写真集から発信していきたいのです。

 

自己資金や借入金で出版するということは、つまり自費出版です。言葉は悪いですが、個人の自己満足でしかないのではないかと思っています。もっとも、資金もありませんが‥。そこで、クラウドファンディングを活用させていただいた理由は、多くの皆さんのご支援・ご支持をいただいたモノであれば、世に問えると考えたからです。

 

 

 

プロジェクトの展望・ビジョン

 

今回のプロジェクトは、「生き活き家」の人たち。金岡夫妻:家族。職員方々。利用者さんであるじいちゃんばあちゃん。いろいろあるけど、皆、人生してるんだ!ということと、施設介護最前線の日常を認知してもらえたらら良いなあ!というプロジェクトです。

 

今回、成立した場合の写真集のタイトルは、ほぼ決まっています。「大事な人が笑(わろ)てナンボ!」前回のタイトルが、「振り回されてナンボ!」ナンボ!シリーズに繋がれば良いなあ!と密かに展望しています。

 

ご多忙の最中、最後まで目を通していただきありがとうございました。

 

本年は、日本列島を揺さぶるような地震や事故での幕開けとなりました。今、能登の地では、災害弱者と呼ばれる、高齢者方々の避難誘導率先、更には、介護が必要とされている方々への介護士不足が顕著であるとのこと。報道では、厚労省が全国の介護施設などに応援依頼。すると、1,700名ほどの派遣可能と回答があったとありました。(2024年1月17日記入)

 

私もアルツハイマー病の母を10年、在宅で介護しましたから、要介護者を抱えるご家族の心労は、半端でないと確信します。私自身は、介護鬱を発症しました。それが、避難所となれば尚更です。もちろん、要介護者ご本人が、一番辛いはずです。昭和初期の人は特に、「他人様に迷惑をかけるわけにはいかない」という思いが、心根に強くありますからね。

 

さて、老人介護。切実です。在宅でも施設でも、虐待のニュースを、最近では頻繁に聞くようになりました。介護する人が減れば、担う人へのストレスは増すばかり。虐待が増えるのは、必然のような気もします。

 

そんな中、「生き活き家」では、基準の人員配置を超えた職員体制で、皆が活躍しています。それでも、いろいろあるんです。その、いろいろを写真集を通じて感じてもらえてたら幸いです。

 

 

実は、この企画は基本、私と金岡氏二人で立ち上げたものです。ただ、金岡氏が夜勤を含め、現場最前線で陣頭指揮を獲りながらも、家に帰れば5人の子のお父ちゃん。昨年生まれた双子の長男:次男のミルクにオムツ交換。超多忙なのです。というわけで、野田明宏一人が実行者と名を上げています。

 

長々となりましたが、「生き活き家」を囲んだ人生の写真集出版」プロジェクトへのご支援、何卒よろしくお願い申し上げます。

 

 

 

金岡重則より”ご縁に感謝”

 

この度は、生き活き家15周年記念写真集のクラファンページを拝見してくださりありがとうございました!

 

僕は、23歳の時に介護の世界に入り、44歳の今まで、愚直に介護に向き合ってきました。介護に没頭するあまりに、家族を壊し、自分を壊し、介護現場から離れた時もありました!

 

「いい介護って何?」「どうしたら目の前のじいちゃんばあちゃんを大事にできるんだ?」

 

そんなことをただひたすらに考える毎日でしたが、今、僕の中で、なんとなくこれかな~、っていうものにたどり着いている感じがします!それは、「自分の身近にいる大事な人から大事にするということ」です。僕の思ういい介護は、特別なことではなくて、目の前のじいちゃんばあちゃんのことを大事に思えたり、心配できたり、悩んであげられたり。結局は、そんなことではないかと思います。そんな介護現場にするためには、まずは自分の大事な人を大事にできる現場でなくてはならない!そう思い、今、家族、スタッフ、仕事に向き合っています!

 

この写真集のタイトル「大事な人が笑ってなんぼ!」にしたのには、そんな思いがあります!野田さんの写真は、そんな生き活き家の日々愚直に向き合っている姿を、素直に映してくれて、伝えてくれます!そして、情熱ある介護人たちの希望となれるものになれば!と思います!

 

是非ともご支援よろしくお願いいたします!ご縁に感謝!

 

 

 

応援メッセージ

 

■介護の世界でシーラカンスと呼ばれ、不死身の三好春樹氏

 

 

『介護は時代の最先端だ。 金岡さんは、老人介護もできるし、子育てもできる。 私たちの世代のような、観念だけのフェミニストは足元も及ばない。 ジェンダーフリーの新しい時代は、介護現場と介護職の家庭から始まっている』 

 

■元気が出る介護研究所 高口光子氏

 

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生き活き家を立ち上げた金岡重則さんは、最近見かけなくなったイイ男の一人である。イイ男はいつもシャイで上手いことが言えず、優しいくせに不器用でだから誤解されやすい。これがイイ男の宿命である。その金岡さんが介護事業所を立ち上げたのだから、さぞかし上手くいかないだろうなと思っていたら、このたび15周年を迎えるとのこと。すごいなぁ。イイ男が良い介護を事業として続けて行くには何かが必要。

 

その何かを介護で転けて介護で救われた野田明宏さんが、写真で明らかにしたのが、この写真集です。目には見えない介護の本当を写真の一枚一枚から、皆さんと共有したい。上手じゃないけど真っ直ぐな介護の現場に届けます。生き活き家写真集、よろしくお願いします。

 

■宅老所 いしいさん家代表 石井英寿氏

 

 

金岡さん。奥さん、子どもたち。そして、スタッフの皆さん、利用者さん。この度は「生き活き家」15周年おめでとうございます!

ICT化の波が、介護業界にも押し寄せてきます。そんな中、生き活き家は「生活リハビリ」を中心に、主体は常に利用者で、スタッフは「杖」になるべく、日々奮闘しています!

 

その情景が分かるAKIHIRO NODAの写真集のクラファンが始まります!応援のほど、宜しくお願いいたします!

 

■フリーアナウンサー/元ヤングケアラー 町 亞聖氏

 

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「野田さんが惚れ込んだ男に間違いはない」こう断言できるのは、私が勝手に野田さんを同志だと思っているからであり、野田さんの生き様と写真に惚れ込んでいるからです。

 

私が18歳の時に母が病で倒れ重度障害者になり車椅子の生活に。奇しくも野田さんと同じ10年という歳月を母親の介護に費やしました。

 

野田さんと出逢ったのはまだ認知症のお母さんを介護している時。「ただ和ちゃんと一緒にいたい」お母さんを想う気持ちは海よりも深く在宅介護しか選択肢はありませんでした。

 

実は野田さんは頑なに第三者の力を借りるのを拒み自分の手で介護をしていました。慣れない介護に重なる経済的困窮、そして変わりゆく母親の姿を前に不安や焦りが募り思わず手を上げてしまうことも…。

 

ただ途中からデイサービスなどを利用し、少しずつライターの仕事もしながら最後まで介護を全うしました。一番、印象に残っているのは最愛のお母さんが亡くなった後に野田さんが語ったこと。

 

「母親の死はもちろん悲しいけれど、もうひとつ淋しいことがある。それは介護スタッフが家に来なくなったこと」第三者による支援はお母さんだけではなく野田さんも支えていたのです。

 

そして現在は〈ケアワークフォトライター〉として、あんなに拒んでいたのに今度は支える側になりました。このケアワークフォトグラファーの肩書きにジンときた私。

 

「"介護その後"をどう生きるか?」母亡き後も私達の想いは変わらず、野田さんは写真を撮り続けることで、私は自分の言葉で伝え続けるという形で、人生をかけて介護現場に寄り添うことを決めました。それが最大の母への恩返しだから…。

 

「金は無いが写真1枚1枚に自信がある」ありのままの暮らしと命を撮るのに必要なのは、技術ではなく信頼関係だと野田さん。そんな野田さんの写真は被写体との近さが伝わるものばかり。命が輝いている瞬間をおさめた写真集をぜひ沢山の人に見て欲しいと思います。

 

■株式会社TABUJI代表取締役社長 榎本峰子氏

 

 

私と金岡さんとのご縁は、10年以上前のことでした。当時私は、現役の従事者であり、管理者でもありました。まだ乳飲み子を抱えながら現場を回し、スタッフのフォローもしながら、女性管理者ということで、とてもやりにくい現場を任されておりました。1人で抱えることもあり、メンタル的にキャパオーバーな私に「そんなに一生懸命にしなくてもいいんじゃないの?」「榎本さん1人が抱え込んだら駄目だよ」と言葉を掛けてくださったのが金岡さんでした。とても肩の力が抜けた瞬間でもありました。

 

金岡さんは、「自分を大切にしない人は、他人も大切にできない」「家族を大切にできない人は、スタッフを大切にできない」と言っている言葉にハッと気付かせていただきました。

 

金岡さんとの時間は、唯一、真正面から介護の話ができる大切な時間です。真剣に向き合っているからこそ言霊があり、とても熱い。そんな金岡さんの15年間の記録は、共感するものばかりだと思います。決して、綺麗ごとでは済まされない現場だからこそ真剣に向き合い、時に強く熱くなることもある。そんな15年間の記録を、私は見たいと心から思います。

 

福祉という分野は、人生の旅路の伴走を担っています。介護分野に於いては、最後の旅路を一緒に伴走するのですから、特別な想いが現場にはあります。そんな現場を温かくしている金岡さん。また、ありのままの姿を写し出すことができる野田さん。生きる姿が全て美しく、死んでいく姿こそ人間らしく、ありのままの姿を写してくれる。これは、福祉という世界を全力で向き合っている人だからこそ、「命」という力強さや人間の弱さを、ありのまま写し出せれるだと思います。私は、金岡さんと野田さんの全力で向き合う姿に感銘を受けていますし、私も全力で応援したいと思います。

 

■合同会社MUKU代表 作業療法士 佐伯美智子氏

 

 

男前なのに、めちゃくちゃ優しい金岡さん!奥さんや家族を何よりも大切にしながらも、目の前のお年寄りにとことん向き合う金岡さん!むくがオープンする、ずっと前から、ファンでした笑生き活き家の、その一瞬、一瞬の場面を切り取った写真集。それはきっと、周りの人を勇気づけ、命の尊さと感動を伝えてくれますね。心から応援しています!

 

■車椅子インフルエンサー 中嶋涼子 氏

 

 

生き活き家15周年記念、おめでとうございます🎉そしてこその度、介護現場のリアルを撮影し続けている介護フォトグラファー野田さんが写真集を出版するとの事で、おめでとうございます🎉

 

普段介護現場に携わる事がなく、話を聞くだけでは想像のできない介護現場のリアルを、写真を通して伝える事で、介護現場に携わる人々や、介護をしてもらう方々の生活や環境を垣間見ることができるとても素敵な取り組みですね。

 

いつか自分も介護をしてもらう私たちは、実際どういうふうに介護をされ、現場の方々はどのような姿勢で、どんな空気感で行われているのか、そこに向き合う方々の笑顔やふれあいを知ることができるのは、とても嬉しいし貴重な事です。

 

様々な介護現場に直接足を運び、介護現場に溢れる「幸せ」や「笑顔」を伝えてくれる事で、「介護」というものに対しての親近感を感じることができます。

 

介護現場のリアルを発信し続けている野田さんの活動を心から応援しています!そして、クラファンの成功をお祈り申し上げます。

 

■kay_farmer_english  農村留学なら農婆

 

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大阪の介護現場で知り合った私の娘・みゆきと金岡重則が、ほどなく徳島県吉野川市鴨島町で宅老所・生き活き家を開所してはや15年、その間、結婚そして5人の子宝に恵まれました。

 

介護を天職と考える二人は、お年寄りがいかにふつうに日常を過ごせるかに徹底して取り組んでいますが、その姿勢に、親ながらいつも深く感動しています。やはりこれ以外の仕事はないと心しているからこそできることなのだろうと、二人を見て納得させられます。だから、たとえ子供達5人(11才、7才、3才、0才児の双子)の育児があっても、互いに協力しあって、介護という仕事と両立させています。しかもハッピーに!!

 

そんな7人家族と生き活き家での介護の様子を記録する写真集が出来上がると、介護はやりがいがあって楽しそう!とか、子育てしながらできるんだ!とわかってもらえると思います。できるだけ多くの人々に理解いただくために写真集が役立つとことを願い、クラウドファンディングを応援しています。 

プロジェクト実行責任者:
野田明宏
プロジェクト実施完了日:
2024年6月30日

プロジェクト概要と集めた資金の使途

今回のプロジェクトでは、宅老所「生き活き家」開所15周年記念写真集を製作します。いただいたご支援金については、写真集制作費用、リターン費用、クラウドファンディング手数料として大切に活用させていただきます。

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プロフィール

1956年岡山市生まれ 岡山東商業高校で第55回夏の甲子園出場。国士舘大学卒業後、風俗の世界を転々するも嫌気がさし、世界を放浪(60ヵ国ほど)する。 その後、内戦下の中央アメリカで戦場カメラマンを目指すも恐怖で沈。 帰国後、両親を看取る。母の介護は自宅で10年に及ぶ。 この間の経緯は『アルツハイマーのお袋との800日』(時事通信社』『アルツハイマーの母をよろしく』(ミネルヴァ書房)等に詳しい。

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リターン

3,000+システム利用料


感謝のメール

感謝のメール

・感謝のメールを送ります

支援者
2人
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2024年6月

5,000+システム利用料


感謝の葉書

感謝の葉書

・感謝の葉書を送ります

支援者
10人
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2024年6月

5,000+システム利用料


生き活き家15周年記念セミナー招待券

生き活き家15周年記念セミナー招待券

招待券を送ります。

開催日時:2024年11月予定
開催場所:徳島県吉野川市内を予定

※詳細については、2024年10月までにメールにてお知らせいたします。

支援者
11人
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2024年11月

10,000+システム利用料


生き活き家15周年記念クラウドファンディングオリジナルTシャツ

生き活き家15周年記念クラウドファンディングオリジナルTシャツ

・感謝の葉書
・Tシャツ

クラウドファンディングリターンTシャツですが、5周年でつくったTシャツが、以下画像で金岡氏と野田、二人が着ているTシャツです。15周年記念Tシャツとは別に、クラファン企画に応じていただいた皆様だけのオリジナル特別Tシャツを企画しています。

※S,M,L,LLからお選びいただけます。

・写真集にお名前掲載させていただきます。

支援者
15人
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2024年6月

10,000+システム利用料


写真集

写真集

・感謝の葉書
・写真集
・写真集にお名前掲載させていただきます。

支援者
51人
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2024年6月

30,000+システム利用料


写真集&Tシャツ

写真集&Tシャツ

・感謝の葉書
・写真集
・Tシャツ
※S,M,L,LLからお選びいただけます。

・写真集にお名前掲載させていただきます。

支援者
6人
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2024年6月

30,000+システム利用料


「祝15周年!」生き活き家15周年全力お祝いコースA

「祝15周年!」生き活き家15周年全力お祝いコースA

・感謝の葉書を送ります
・写真集にお名前掲載させていただきます。

※いただいたご支援は、リターン費用がかからない分、サービス手数料を除いて全て活動内容に活用させていただきます。

支援者
4人
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2024年6月

50,000+システム利用料


あなただけのお名前入りベンチ(5名限定)

あなただけのお名前入りベンチ(5名限定)

金岡重則のDIYで、あなただけのお名前入りベンチを作成しお届けします(5名限定)

支援者
2人
在庫数
3
発送完了予定月
2025年5月

50,000+システム利用料


「祝15周年!」生き活き家15周年全力お祝いコースB

「祝15周年!」生き活き家15周年全力お祝いコースB

・感謝の葉書を送ります
・写真集にお名前掲載させていただきます。

※いただいたご支援は、リターン費用がかからない分、サービス手数料を除いて全て活動内容に活用させていただきます。

支援者
4人
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2024年6月

70,000+システム利用料


野田明宏一日貸切撮影権利

野田明宏一日貸切撮影権利

・野田明宏が撮らせてもらいます。

※有効期限は1年です。
※日程については、クラウドファンディング終了後、別途ご相談とさせていただきます。
※交通費については、別途頂戴いたします。

・感謝の葉書
・写真集
・Tシャツ

・写真集にお名前掲載させていただきます。

支援者
1人
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2024年6月

100,000+システム利用料


金岡重則が「講演 」or 金岡重則の「我が身を守るための介護技術研修」

金岡重則が「講演 」or 金岡重則の「我が身を守るための介護技術研修」

・金岡重則が「講演 」or 金岡重則の「我が身を守るための介護技術研修」
どちらかを選んでいただき、金岡が出向きます。

※有効期限は1年です。
※日程については、クラウドファンディング終了後、別途ご相談とさせていただきます。
※交通費については、別途頂戴いたします。

・感謝の葉書
・写真集
・Tシャツ

・写真集にお名前掲載させていただきます。

支援者
2人
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2024年6月

100,000+システム利用料


「祝15周年!」生き活き家15周年全力お祝いコースC

「祝15周年!」生き活き家15周年全力お祝いコースC

・感謝の葉書を送ります
・写真集にお名前掲載させていただきます。

※いただいたご支援は、リターン費用がかからない分、サービス手数料を除いて全て活動内容に活用させていただきます。

支援者
3人
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2024年6月

プロフィール

1956年岡山市生まれ 岡山東商業高校で第55回夏の甲子園出場。国士舘大学卒業後、風俗の世界を転々するも嫌気がさし、世界を放浪(60ヵ国ほど)する。 その後、内戦下の中央アメリカで戦場カメラマンを目指すも恐怖で沈。 帰国後、両親を看取る。母の介護は自宅で10年に及ぶ。 この間の経緯は『アルツハイマーのお袋との800日』(時事通信社』『アルツハイマーの母をよろしく』(ミネルヴァ書房)等に詳しい。

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