継承という視点から、女優斉藤とも子さんの講演に感じたこと。

 

 女優の斉藤とも子さんはご存知でしょうか?井上ひさし作品のお芝居にもいくつか出演され、原爆を扱った『父と暮らせば』で二人芝居のヒロインを演じました。

 今年はこまつ座が『父と暮らせば』の再演で全国を回っていますが、仙台公演のプレ企画として井上ひさしゆかりの文学館で斉藤とも子さんの講演会がありました。

 斉藤とも子さんは、このお芝居を演じるにあたって、用意された被爆緒言を聞くよりも広島を感じたいと一人で広島に行ったそうです。何気なく入ったお好み屋さんで、お店のおかみにいきさつを話すと「私もヒバクシャよ。被爆者っていうとね、暗く沈んだ人ばっかりと思うかもしれんけど、こんな明るい被爆者もおるんよ」と話してくれたそうです。父は結核ですでに亡くなり、原爆では母を爆心地で亡くし兄弟は離れ離れになった。ご自身はキリスト教の養護施設に預けられ戦後を生きたとのこと。さらに友人を呼んでお話を聞かせてくれたそうです。

 その方は、被爆の話はしたことがないとおっしゃっていましたが、記憶は本当に鮮明で、特にひどいやけどを負った友達の死ぬ間際の姿と声が忘れられないとその様子を話してくれました。顔は唇だけが残っているような大やけど、でも女学生だった友達は「うちの顔どうなってるん?」と聞いたそうです。正直に言うのははばかられ、「そうね、表面だけじゃけ、すぐようなるよ」と話したそうです。水が飲みたいと訴える彼女に、もう最後だから上げてくれという家族の様子に、やかんの水を持っていくとどこにそんな力があったのかと思うくらいむしゃぶりつき息絶えたとのこと。ずーっとその声を忘れられない。

 斉藤さんは、当時ご自分の人生の岐路に悩んでいたそうですが、そんな被爆者との出会いを重ね、斉藤さん自身が被爆者のおかげで人生をやり直す勇気をもらったと言います。

 「被爆者のお話は何度聞いてもどんなお話を聞いても辛すぎる。夜に夢を見て目が覚めこともある。でも、被爆者のみなさんは何百倍、何千倍つらい中を生きてきた。そして生きてくださったから、今こうして会えた。『生きてくれてありがとう』という気持ちです。その生きざまをつなぎ、死んでいった人たちの死を無駄死にさせるかさせないかは私たち次第。私が、その人たちに恥ずかしくない生き方をしているかどうかいつも確認するように生きています」

 そして、最後に、生まれたという事、生きるという事の軌跡を思いめぐらすような井上ひさしのセリフを朗読して講演会を閉じました。

 

 被爆体験の継承は、体験していない私たちだからこそ取り組む価値のある課題です。

 斉藤さんは被爆者の心を丸ごと自分のものにして表現活動を通して継承に取り組んでいます。また、仙台に来た機会に、津波被害にあった石巻や大川小学校・石巻日々新聞も見学され、命の大切さ、生きる闘い、そして継承について共通のものを見出そうとしていました。

 今回青年劇場のお芝居は、絵を通して被爆者の思いをつなぐ生徒と、その取り組みに感動し、さらに継承の輪を広げる青年劇場のみなさん、そしてそれをさらに受け継ぎ広げたい私たちのような市民の大きなチェーンになっています。「核兵器のない世界」への小さな一歩。ぜひ成功させてください。

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