プロジェクトも残すところあと2週間を切りました。本当にありがたいことに目標まで98%まで達成しました。たくさんのご支援感謝いたします。今後、目標額を超過することになりましてもその超過分の使途目的をこちらでご報告いたします。引き続き皆さまからのご支援、よろしくお願いいたします。

 

 

 

今日、配り物の用事があったので石徹白で民宿をされているT蔵さんのところへ久しぶりに行きました。

そこでちょっとお話しさえてもらったのですが、そこでのお話しにいたく感動してしまい、この高揚感からどうしてもここでもお伝えしたくなった次第です。

 

T蔵さんご夫婦はすでに80歳を超えられてもお元気で民宿もされながら畑も田圃もやられています。石徹白は狭いとはいえなかなかお会いすることのないかたも多く、在所が異なるとなおさらです。T蔵さんとも直接お話ししたことはこれまでも2,3度しかなかったのですが、うれしいことに僕のことはいつも認めてくださってくれます。

 

短い時間の、玄関での立ち話の中でたくさんの、僕にとっては刺激的な話をしてくれました。

 

例えばお米の話。

 

石徹白では、僕はそんなことはないと思うのですが石徹白の米は旨くないという人も多く、昔は水がもっと冷たかったので収獲量も少なかったが温暖化のおかげで!暖かくなったので収獲量は増えてきた、なんていうくらいの話しかきいたことがありませんでした。

しかし昔は、50年以上前は石徹白では農協が推奨するような品種ではなく、とある「在来の品種」のお米が作られてたそうです。当時は化学肥料もないので田圃に入れるのは刈り草(石徹白では今でも「かりぼし」と言います)くらい。しかし、昔から言われてきたやり方で作ったお米はとても美味しく、郡上でもかなりの評判で石徹白から一番大きい街である郡上八幡まで電車で運ぶ間に売り切れてしまった。そのくらい評判だった。

しかし、やがて化学肥料が入り、農薬が入り、品種も変わってしまってからはすっかり味も落ちてしまったとのこと。今やその「在来の品種」もないだろうし、話も聞かなくなってしまった。石徹白の米が美味しくないという話は、最近の話であって本来石徹白の米はおいしかった。

 

もっと驚いたのが、昔は田の草も当然人の手で取っていたが、今の草の量にくらべると全然少なかったという話。そして、それは昔の人の伝えられる通りの管理の仕方をしていたからだ、ということ。一番悪いのは除草剤で、あれは土の中の大事な菌まで全て殺してしまう。死んだ土になってしまう。でも今の草を人の手で取るということはとても出来ない。そのくらい多くなった。昔も大変だったが、今と比べればまだ草の量も少なかったから人の手でも取れたのだ、とのこと。

 

そして肥料。苗代の時には肥料を使うがそれは人糞だった。肥料と呼べるものはそれしかなかった。しかし、田圃に入れるのは良くないと言われていたので田圃には刈り草しか入っていなかった。

 

土が一番大切だった。子供の頃、自分のおじいさん(今生きていれば200歳くらいになっている人、と)が、自分が田圃の作業のあと水路で泥で汚れた足を洗っていると、おじいさんがひどく怒った。何をそんなに怒るのかと聞いたら、「いいか、この(お前の足についた)土が出来るのには何百年もかかっているんだ!そんな尊い土を水路の水で流すとは何事だ!田圃の中の水で洗って、土を外に出さないようにしなさい」と言われたときに、如何に土というものが尊いものかと知った。

 

 

ほんの50年から70年ほど前の話だけど、如何に今の農業が遠いところまで来てしまったかが良くわかります。と同時に、自分のやっていること、めざしていることのヒントがこの話しの中にいくつも含まれていること興奮せずにはいられませんでした。

 

 

僕は知らなかったのだけど、T蔵さんは僕の畑の野菜も見てくれていたようで、「いつも作物が美しい」と言ってくださった。知っている人は知っているけど、僕の畑は決して望んでいるワケではないけどいつも草がボウボウでとても美しく管理されているようには見えません。几帳面な人が多い石徹白の人には見苦しく見えるだろう畑の野菜を称して「美しい」といってくださったのです。

 

そしてこれからの時代はこうした野菜や米が必要とされるんじゃないだろうか、今はその重要な転機に来ているんじゃないかと思う、とまでおっしゃってくださいました。

 

 

普段つきあいがあったり、話すことも多い40代から60代くらいの人からは決して聞くことが出来なかったこういった話を、さらに深い知識と経験をもった80代の方から聞くことができて勇気が湧いてきた。

 

やっぱり自分のやってきていることは、少なくとも方向は間違っていない。そして見てくれている人は必ずいる。

 

ハードな日々で心身ともに草臥れてしまうことも多いけど、もう少し頑張ってみよう!と思わせてくれる出来ごとに感謝です。

 

 

2005年12月24日。この年の12月は記録的な大雪に見舞われ、岐阜県でも農業施設に甚大な損害が出ました。石徹白でも在所にあるビニールハウスのほとんどが、骨組みだけになっていたにも関わらず潰れてしまいました。写真に見えるのはモチロン家の1階部分の屋根です。今年はこの時よりさらに降っています。

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