支援総額
目標金額 230,000円
- 支援者
- 13人
- 募集終了日
- 2015年3月27日
貝塚から始まる大朝の歴史という紡がれる歌
こんにちは、寺子屋再生プロジェクトの事務をしています大番匠淳と申します。
写真は「秋の寺子屋」の一コマですが、スーツ姿が私です。
今日は、大朝の歴史を紐解いてみようと思います。
大朝には多数の遺跡があり、古来より人が住んでいたことが推察できます。
その理由に、災害が少ないことが挙げられます。
まず、中国山地は地震が少ないこと。
また、川の上流のために水害は少なく、山間部の開けた土地ゆえに生活をしやすいというメリットがあります。
実は、その発掘調査例が少ないため、サイト本文では弥生時代と伏せたのですが…
縄文時代の遺跡もあるとても古い歴史がある土地なんです。
というのも、地域の郷土史家の話によると、地域の山などには古代語(大陸文化の入ってくる以前の言葉、神話につながる言葉)の由来が見て取れるところもあるそうなんです。
確かに、貝塚遺跡もあり、その言葉を実感します。
また、発掘調査では弥生時代の遺跡には勾玉などの遺物があり、大陸文化の浸透が窺えます。
古墳も点在し、ある程度の規模のムラであったことも推察できる土地なんです。
しかし、史実に登場するのは、ずっと時代を下った858年の三代実録に「大麻天神」という記述になります。
天神とは雷神のことであり、雨を伴い、雷を落とすという神様のこと。
つまり、天神は雨を願う農民にとって信仰するべき神様であることから、
大朝の地には農耕をした歴史と住民が存在していたことを窺えますね。
大朝の歴史で有名なのは、戦国武将として有名な毛利元就の吉川氏です。
大朝の吉川氏は、1313年に駿河から大朝の地に地頭として来たのが始まりです。
既にこの時には、山陰石見(島根)との交通の要衝でした。
そのため、市場が立ち、美田が並ぶ栄えた荘園であったようです。
ちなみに、吉川氏とともに来たのが、龍山神社という古い神社があります。
今も残る室町時代の数少ない神社建造物で、厳島神社に次ぐ二番目に古い本殿があります。
このように、郷土として自慢したいところも多くあるのですが、
現在は衰退の一途をたどる過疎地域です。
現在の大朝地区の人口は、室町時代や江戸時代に比べて、半分以下という数値もあります。
今は今の歴史があるため、人口のみでは語れませんが、歴史を紡げるだけの力を持ち、大朝の地を存続していきたいです。
どうかご支援のほど、よろしくお願いします。
リターン
3,000円
・サンクスメール
・イベントの様子をデータで送ります
- 支援者
- 1人
- 在庫数
- 制限なし
10,000円
・イベントの様子をデータで送ります
・栞
・イベント当日の写真
以下からどれか1点
・フラワー(小)
・フラワー(大)
・コースター
・オボン小(オーナメント)
・トートバック
・1stアルバム「Koloro」
・2ndアルバム「Manaka」
・お米精米3キロ
- 支援者
- 10人
- 在庫数
- 制限なし
30,000円
10,000円の引換券に加えて
・直筆レター
・大朝観光写真を送ります
以下からさらに2点
・フラワー(小)
・フラワー(大)
・コースター
・オボン小(オーナメント)
・トートバック
・1stアルバム「Koloro」
・2ndアルバム「Manaka」
・お米精米3キロ
- 支援者
- 1人
- 在庫数
- 制限なし
100,000円
・北広島町大朝でのイベント参加ツアー
2015年3月29日〜3月31日の期間で1回有効。
交通費(広島駅までの送迎)と宿泊費が含まれる。
送迎の日時などは主催者と連絡を取り、すぐに実行できるように打ち合わせる。
現地での食費などは引換券所持者の負担とする。
- 支援者
- 1人
- 在庫数
- 制限なし