クラウドファンディング終了についてのご報告
昨日で私の童謡ダンスミュージックプロジェクトのクラウドファンディングが終了しました。
最終的に支援総額は375000円、達成率は107%となりました。
応援を本当にありがとうございました。
金額や達成率よりも、皆さんが私のアイディアに賛同してくださり行動に出てくださったことが何よりも嬉しかったです。
この2ヶ月、ハラハラドキドキの貴重な経験をしました。
始めは研究費申請書類の独り相撲とは異なり、気持ちのやり取りや人の繋がりをひしひしと感じました。
同時進行で様々なダンス授業、講演、子供達への指導を行っていました。
その中での気づきはとても重要でまだまだ整理できていませんが、当初の計画には盛り込めなかったアイディアが沸いて参りました。
そして、今教務補佐として勤務する大学でゼミ学生の発表指導の佳境にあります。
今の時点で述べたい考えがあります。
自分が提案する新しいアイディアについて、実際には多くの人は気持ちや態度に賛同して応援をしてくださいます。
提案者はその方々が自分のことを考え、時間や思考力を割いてくれたエフォートを想像し、準備と説明を入念にそして分かりやすく行わなければならないということです。
当たり前過ぎて今更言うべきことではありませんし、当初から分かっていることですが、これは一プロセスを経てそして必ずしもいつも同じではないことを鑑みると、改めてパワーアップしたというか、自分が発展したこととして皆様にお伝えすべきであると考えました。
何度もクラウドファンディングについて考えました。これが果たして本当に意味があることなのかと。
私が今考えている、クラウドファンディングでこのプロジェクトを進めることが、社会にとって意味のあることなのか?
直接的な恩恵が「子供とその親、ダンス指導者」に限定されているけれど、それを社会は受け入れてくれるのか?
このことは、私が大事にしている研究活動でもとても大切な問いだと考えています。
直接的な成果が求められる世の中で、「すごい活動の成果というのはすぐに出てはこないのだよ」と開き直るのか、「その片鱗だけでもすぐに現れなければいけない」と考えるのか・・・。
そういう問いに対して、やはりやりたいことなら何としてでもやっていくわけです。
やったうえで、その意義を「みんなが納得できるように」説明するわけです。
研究でもなんでも「やりたいこと、自分がやらなければ誰がやるのだろう?」と思ったことは、このプロセスを経なければその活動が存在した意義がないと再認識しました。
こうして考えると、研究費申請もなんでも、「自分が提案して人に示していくもの」というのは同じだということに気が付きました。
相手が何であってもその反応があってもなくても、自分がそのやりたい気持ちを伝え、説得するのは同じではないかと・・・。
うまく説明できていないかも知れません。そしてここではプロジェクトの成立のためにどのような自分のプロセスがあったのかなど、必要のないことかもしれません。ですが私は特に支援してくださった方々に、私が考えてきたこともお伝えしたいのです。そのことすら、支援者の方々の何らかの利益になる可能性が、少しでもあるのなら。
私がやりたいことは、子供達への実のあるダンス指導を構築することです。
その第一弾が、音楽。
この二か月の間の授業などダンスの活動を通して、また自分の研究を通して、なかなか面白ことに目を付けたのではないかと思いました。
仮にこの音楽制作の一番最初の形がたどたどしいものであっても、このプロジェクトがあったことでさらなる展開が期待できます。
その最初の一歩に、こうして力を貸していただいた方々・・・。本当に神様みたいな存在です。
絶対に納得するような成果を上げたいと思います。
最後になりましたが、このプロジェクトの企画・実行にはreadyforの担当者の方、そして東京農業大学の勝亦陽一先生が、それぞれ自身の仕事もお忙しい中時間を割いて関わってくださいました。私だけでは到底できませんでした。心からお礼を申し上げます。
本当にどうもありがとうございました。
井村祥子