自分の心の中に暗く沈む。

人とは違う、それ。隣の人にはない、それ。

多数を「普通」と呼ばれて、少数を「普通でない」と呼ばれる、それ。

 

自分でも触れたくないから、なんだかもつれた糸がぐちゃぐちゃに絡まったように混沌と暗く沈んだままで、さらに押し込めて、鍵を掛けたように閉ざしている“それ”。

 

それを見つめて開けて光を浴びせる行為が、どんなに恐怖か。

例えば、私が長い間、全裸で鏡の前に立てなかったように。

 

それでも毎日は流れる。

押し込めて知らないふりすれば、なんとか生きていける。

そのうち、押し込めて知らないふりしていること、それすらなかったことにして。

そうして毎日はさらに流れる。

 

だけど“それ”は、何かのきっかけで、光を浴びる。

本人の意図とは違っていても。

時が満ちた時に、突き付けられる日が来る。

覚悟と決意と勇気。恐怖に打ち克つ大事な要素。

 

だけどもっと心の奥の深い所から湧いてくるのは…

「あなたに私を分かってほしい」という願い。

 

そうすれば、もつれた糸はスルスルと解け始める。

眩しい光はいつしか心地良く、私を包む。

 

強くなくて良い。

不安だらけで良い。

傷だらけで泣いていても、ただ清々しく。

 

心は曇らず、晴れやかに、健やかでいる。

そして「私は私のままで生きていく」という、ある種の希望に似たものが生まれる。

 

 

マイノリティを語るとは、つまりそういうことだと感じています。

私はヒューマンライブラリーに出合って、光を浴びて、今は自分の心に爽やかな風が吹いていることを知っています。

 

ハマダマリコ

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