2017年もあとわずかになりました。

本日、ご支援頂いた全ての方々に感謝の気持ちを形にしたものを送りました。それに、少しこれまでの状況をご報告させていただきます。

今立現代美術紙展は、1979年に産声をあげました。

1991年にサントリー地域文化賞を受賞した時の実行委員長 上木孝氏が受賞の時の活動詳細を書いている。

引用すると、

1500年の歴史をもつ越前和紙の里、今立。人口14,640人、山あいの小さな町だが、手漉き和紙の生産量と業者の数は日本一で、工業化の進む今日にあってもなお、伝統の技を守り、高級手漉き和紙の生産地として名高い。この今立町で、日本でも唯一の、紙を素材とした現代美術作品の公募展が開催されている。


実はこの美術展、現代美術を愛する地域の若者たちの手で運営される手づくりの美術展である。実行委員は15人、20代から40代の地元の青年たちである。1976年に今立町内の分校跡に移り住み、創作活動のかたわら地域の人々に絵画や陶芸を指導、1980年に48歳の若さで世を去った前衛芸術家河合勇さんに強い影響を受けた人たちである。生前、河合氏は、今立町内の焼却場に山と積まれている和紙の損紙を見て、「これで何か出来ないか」と問いかけていた。1979年、病と闘う河合さんを力づけるため、地元和紙をふんだんに使って思い思いに制作した作品を集め、青年たちはささやかな美術展を開催。こうして「今立現代美術紙展」が産声をあげた。

この美術展は、第2回までは今立の青年たちだけの内輪の作品展であった。しかし、1983年の第3回展から公募展として全国に名乗りを挙げた。当時は、一地方の無名の青年たちによる全国公募というのは考えられないことだった。彼らはボランティアで運営にあたり、資金集めに奔走、時には多額の赤字を埋めるためのアルバイトに汗を流しながら、手づくりで紙展を続けた。1回目の公募展から、審査委員には高名な現代美術作家、李禹煥氏をはじめ、第一線で活躍中の美術評論家などを迎えた。このため同展の権威と知名度が高まり、今では海外からも優れた作品が集まるようになっている。

一方、実行委員会の青年たちの無私の熱意に対し、地元の製紙業者や町当局も、材料となる和紙の無償提供や資金援助など支援を強化し、賞金の額も、当初の大賞賞金50万円から現在は150万円になり、地元のスポンサーによる特別賞も設けられた。また、第7回展では、審査委員や作家に地元和紙業者も交えて「現代美術と紙」というテーマでシンポジウムを開催。第10回展ではプレ・イベントとして、全国から集まって来た作家が今立町に滞在し、現代美術の制作現場を一般に公開する「紙の実験展」を開催、その後隔年で行われている。これは、作家同士や作家と地域住民が交流するなかで、紙による新しい造形の可能性を探ろうというユニークな試みであった。また、1991年11月には、町民文化の拠点として「いまだて芸術館」が完成、第11回今立現代美術紙展がオープニングを飾った。1992年からは町全体の事業として位置づけられ「いまだて芸術館」が紙展を主催することになった。実行委員会は紙展の企画運営を担う一方、さらに活動の輪を広げ、現代美術の企画展や現代美術講座の開催なども行っている。

今立の紙の現代美術展には意外性と必然性がある。一人の芸術家との出会いが若い世代のエネルギーを触発し、町の伝統産業とモダン・アートを結び付け、北陸の小さな町から世界に向けて発信できる文化運動を育てた。この運動がさらに出会いの場を広げ、伝統を現代にいかし、町の活性化につながる大きな運動へと発展してゆくことが今後一層期待されている。

https://www.suntory.co.jp/sfnd/prize_cca/detail/1991c1.html

 

このように、現在も引き続き伝統とモダンアートという境目のところで、独自な発展を遂げて来た今立現代美術紙展だが、福井県立大学では『匠と現代』という授業として現代の若者に投げかけ、また一方では、世界から日本へと流れを作るような活動には、日本から世界へ和紙の魅力を実際に見て貰えるようなアプローチも忘れてはならない。

幸い、今回の河合イサム写真展には海外からのお客様がアメリカを中心に来場された。一人ひとりの人間関係を大切にして文化的な刺激をし合える仲間作りも大切にしたい。

最後に、このプロジェクトに興味を示して頂いた多くの人々に感謝の気持ちと、新年が明けるといよいよ第30回記念今立現代美術紙展1300展が動き出します。同時に岡太神社・大瀧神社1300年大祭も控え益々越前市周辺の文化的な動きが活性化することを祈念して年末の挨拶と、皆様方のご多幸をお祈り申し上げます。

2017年12月30日

IMADATE ART FIELD(今立現代美術紙展実行委員会)代表 増田頼保