最近のけん玉は、投げ技のバリエーションも豊富で、ときどき、近くのエルム公園という、広い公園に出向いて練習することがあります。

※部屋でやると、テレビが壊れたり、パソコンが壊れたり…と、危険がいっぱい♪(苦笑)

昔は、人前で努力している姿を見られるのがカッコ悪いと思っていた、"中二病"をこじらせていた時期があったのですが、最近は、道行く人というのは、自分の興味関心のあるものにしか、目がとまらないものなんだな…と、気づき始め、公園での練習も、人目が気にならなくなりました。(笑)

そんな中、稀に、じ〜っと、その練習を眺めてくれる人がいたりするのですが、面白いことに、散歩中の犬にも、そんな風に、眺め続けてくれる子が、ときどき、いたりします。

最初は、紐なしけん玉で練習しているときのことだったので、"フリスビー"的な何かで遊んでくれるのを期待しているのかな…と思っていたのですが、どうも、そうでもないらしいことが、最近、わかってきました。

一つの技に、真摯に向き合って、成功への道を思考錯誤して模索する…その姿を、"見守って"くれているだな…と。

それは、あたかも、自分の子どもが、一生懸命、自分の足で立って、歩こうとしている姿を見守るような…そんな感じ。

そんなときの犬は、不思議と、座り込んで、じ〜っと、優しい目で(僕にはそう感じる眼差しで)こちらを見続け、テコでも動きません。

だいたい、飼い主さんの方が、飽きて散歩の続きに行こうとするのですが、犬が動かず、根負けして、飼い主さんも、そこに座り込むケースが多いです。(笑)

さすがに、30分くらいその状態が続くと申し訳ない気持ちになり、別の技、既に習得している大技なんかを披露するのですが、その瞬間に、犬は僕に興味を失って、去っていきます。

こちらの"魅せよう"という意図、見事に見透かされてしまうようで…(苦笑)

そんなとき、ふと思うのですが、本当に賢い犬というのは、"見守り"という優れたスキルを持つ教育者でもあるのかもな…と。

人間でも、子育ての初期というのは、誰もが、"見守り上手"なのではないでしょうか。

ハイハイができるようになる、初めて立つ、言葉を話し始める…

そんなときには、手を差し伸べるのではなく、ただ、見守ってあげているのではないでしょうか?

その子の可能性を信じて。

優しくそばで見守っていくれる人がいる。

ただ、それだけのことで、人は人の持ちうる可能性を、最大限に引き出す瞬間に出会えるのかもなと。

おれやこれやと、手取り足取り伝えたり、言葉で説明するのではなく、ただ、そばにいて見守る。

子どもが成長して大人になっていくにつれて、親ができなくなっていくことの一つなのかもな〜と。

何よりも深い"教え"の在り方を、本能で理解し、実践している…

そんな犬の姿をみて、児童館などでけん玉のやり方を教える、我が身の姿を振り返ることも多々…

それにしても、人前で努力する=カッコ悪いと思い始めるのは、いつからなんでしょう?

努力する姿を、見守ることができない風潮が生み出されるのは、なぜなんでしょう?

そんなことを思いながら、僕は、今日も、いつもの公園の、いつもの場所に、出向きます。

ただ、ひたむきに、夢を叶える"努力"をするために。
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