第七回台灣人戰歿者慰靈祭

沖繩第七回台灣人戰歿者慰靈祭,今年感謝12位朋友在群募上贊助祭祀用神酒,最終一共寄附一箱12瓶台中六十五,不足份由我補足。
今年也是我第二次參加慰靈祭,去年因為釀造台中六十五所牽起的緣份,今年還是相同的感動,能夠使用台灣故鄉的品種所釀造的日本酒祭祀無法回家甚至不知道名字的前輩英靈,心中有著無數無法言語的翻騰思緒,真的只有感謝。
來到台灣之塔我另外一定會去致意的三個地方,一個是台灣之塔旁的空華之塔,追思戰歿的航空官兵,因為台灣之塔的土地是由空華之塔管理團體提供,原本他們有其他預定,但聽到要蓋台灣之塔,立刻就提供出來,因為有他們提供的土地,台灣之塔才有辦法聳立於此。畢竟摩文仁之丘蓋滿了各縣的追思塔,已經沒有地方蓋其他追思塔,連一些縣的追思塔都不得不蓋到平和祈念公園以外的地方。
第二個是台灣之塔後方有一個しづたま之塔,是為了追思整個家族成員都亡於沖繩戰的平民,因為已經不會有後代來追思所以日本政府特別蓋了一個追思塔。
最後則是戰前最後一任沖繩知事島田叡的慰靈碑,當時的沖繩因為已經變成最前線的關係,派任知事都不願來上任,島田知事自告奮勇前來,在戰火逼近當中與沖繩防衛司令部協調許多保護島民的工作,當時也是島田知事冒著沒有制空權的狀態飛到台灣,跟總督府協調取得台灣蓬萊米,救助了因為美軍轟炸而頻臨斷糧的沖繩平民。島田知事在沖繩戰戰線全面崩潰下直到最後一刻都在協助平民避難,最終也在混亂之中捲入戰火而戰歿。所以島田知事在沖繩本島的人望直到現在依然很高。三個地方都倒了一杯台中六十五致意⋯⋯
而我的台中六十五號稻種也是於沖繩取得,台中六十五號於昭和4年導入沖繩,昭和6年至平成7年為獎勵品種,至今還扎根在沖繩,才會有日本酒「台中六十五」,所以,對於沖繩我有著不同的思緒。

 

今年も沖縄にある台湾の塔にて沖縄戦台湾人戦歿者慰霊に参列しに来ました。今年はクラウドファンディングにて12名の方から協賛をいただき、一箱12本をお神酒として奉納しました。
今年は2回目の参列、自分で醸す酒が先輩英霊への慰霊祭のお神酒として使われることは嬉しくて光栄です。同時にこころの奥にある思惑が激しくて言葉が表せないほどの感動です。台中六十五を醸すことでできたこの不思議なご縁はただ感謝するのみ。
この台湾の塔以外に周辺に必ず手を合わせに行く3つの塔があります。まずは台湾の塔の隣にある空華の塔、戦歿した航空兵士を記念する塔、実は台湾の塔の敷地は空華の塔の管理団体からの提供です。もともとは使う予定あるようで、台湾の塔の話を聞いて、提供してくれました。だから、台湾の塔がここでできるのは空華の塔の管理団体に感謝しないといけない、なぜなら、摩文仁の丘にはすでに空いてる土地がなく、一部の県の慰霊碑は平和公園敷地の外に建てないといけない状態です。
二つ目は台湾の塔の後ろにあるしづまたの塔、この塔は沖縄戦で家族全員が犠牲になった民間人を記念する塔、遺族がないため、手を合わせに来る人がいないからせめての慰めで手を合わせます。
最後は戦時中最後の沖縄県知事島田叡の慰霊碑、前線となった沖縄が危なくて、着任拒否の知事任命者が続出、島田知事が自ら手を挙げ赴任しに来て、島民の疎開や避難などを力に入れます。さらに制空権ない状態で台湾まで飛んできて、総督府と協調し、台湾蓬莱米を沖縄に運び込む、米軍の空襲で食糧不足となった民間人を救いました。沖縄戦中、最後までに島民の救助や避難を頑張ったが、戦線崩壊の中に戦闘に巻き込まれて戦歿しました。
3つの塔に手を合わせて、台中六十五を捧げました。昭和4年に台中六十五号が沖縄に導入され、昭和6年から平成7年までに沖縄県奨励品種となり、そして今でも沖縄で栽培されているから、日本酒「台中六十五」ができました。だから沖縄は特別な存在と思います。

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