先日は、『祭りBar』というイベントに登壇させていただきました。

 


一緒に登壇したゲストは、よさこいの吉田快さん、イマジン盆踊りの大嶋櫻子さんという、日本文化の踊りをアップデートしている方々。

 

 

「祭り」にフォーカスを当てたセッションは何度かありましたが、ここまで「踊り」に特化したイベントは初めてかも。すごく刺激になりました。

 

こういうイベントでは、クロストークや質疑応答などで、自分の思わぬ扉が開く時があります。無意識ではいつも考えているけれど、質問されるまで気が付かない未知の領域。その扉をたくさん開いてくださった時間でした。

 

お二方のお話も素晴らしかった!

 

 

現代社会で、祭りと踊りの価値は何か

 

今回私のプレゼンでは、『現代社会で、祭りと踊りの価値は何か』ということを話しました。

 

 

情報社会では、もはやクオリティの高さが価値と直結しない」ということを、私は繰り返し言ってきました。しかしここが、丁寧に解説しないと誤解される一番のポイントです。

 

寶船は、意識的に「上手く踊ること」を目指していません。技術がムーブメントの足かせになることを感じるからです。

 

YouTubeなどで、手軽に世界中の高品質なエンターテイメントが観れる時代、リアルな場は、「場の空気を感じて初めてわかる価値」にシフトしています。

綺麗な同じ動きをトレースするだけなら、いずれAIでも可能になる。オリンピックで話題になった美女軍団でもいいかもしれない。

 

でも、人間味のある「余白」や「未熟さ」や「衝動」は、その瞬間の感情に揺さぶられないと中々表現できない価値です。

 

例えば、

 

あるアーティストがすごく上手い歌をライブで歌ったとする。でもCDと同じ歌い方。ライブの高揚感もあるし、ライブ会場ならではの音圧や臨場感もある。でも曲の内容は同じ。

 

これだと、『ライブ感』は薄く、腕のあるDJが音源を流すのには勝てません。なぜならDJは、曲と曲のつなぎも含めて、客席を踊らせる付加価値を付けるからです。

 

逆にそのアーティストが、サビの部分で、歓喜あまって叫びながら歌ったとする。音程は多少ズレてでも、その感情が空気を通して会場に伝わる。そのアーティストを揺さぶる衝動が、観客を『完全ではない人間のもつれ』に引きずり込む。

 

この瞬間にこそ、表現の価値があるのです。
表現に魔法がかかる瞬間です。

 

 

「祭り」は、その人間味のプラットフォーム。

そして、踊りは、人間性の共通言語だと思っています。

 

またトークイベントなどの機会をいただけたら、そんな話を掘り下げてしたいです。

 

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