3日目は浪江町の公益目的立入を申請していたためこちがメインでした。

これまで浪江町では4枚の作品を描いています。
この数字を見て、えっ?と思う方は被災地の状況をよくしっている方だと思います。

そもそも浪江町は震災直後からほとんどの地域が立入を規制されていたからです。

現在は帰宅困難区域となっている山間部の津島地区には避難区域再編前に入りました。現地は福島第一原子力発電所から30km離れているにもかかわらず高濃度放射線に襲われた地域です。
再編以降は津波の被害が大きく原発5km以内の請戸地区をメインにしました。
ここは福島第一原子力発電所の排気塔が見える場所で港町一帯が壊滅してしまった場所ですが放射線量は比較的低い数値で推移して色る場所です。

今回は旧浜街道の宿場町として栄えていた浪江町の中心街を目指したというわけです。

しかし立入申請しても入れる時間は9時から16時までに限られているため日の出の5時半からだと少々余裕があります。
※幸か不幸か宿に泊まる予算すらなく日の出と同時に動いた方が効率がよいのです(^^;;

そこで思い付いたのが南相馬市鹿島区です。
南相馬市では既に小高区や原町区では何枚も描いていたのですが鹿島区はまだ描いたことがありませんでした。
そもそも小泉内閣の平成の大合併前まではこの3区はまったく別の町です。
しかも鹿島区には描いておきたい箇所があったのです。
それは「奇跡の一本松」です。

奇跡の一本松といえば、モニュメント化された岩手県陸前高田市の高田松原の松がはじめに思いうかぶと思います。

しかしここにも同じく奇跡と呼ばれ松林からたった一本だけ残った松があるのです。

それ以降までいうと諸々感じることはあるのですが割愛します。

ただ決定的な違いはこの松は生きている。そして松が生きるよう地元のひとたちが努力している…それが違いです。
今日は描く時間にして2時間半程度しかなかったため完成は明日の本描待ちです。

そして9時からは浪江町…といいたかったのですが…
事前調査で描くつもりだったポイントが片付けられていて急遽予定変更。
人の住まない家は痛みもはやく歪みから徐々に倒壊していきます。
予想通り商店街は倒壊または盗掘された跡が多数散見され雑草に埋れていました。

数件あった倒壊家屋から畳屋を選びました。
これは駐車スペースの都合もありました。立入は制限されているとはいえ、彼岸どきでかなり地元の方が立ち入られていて、やはり路駐は躊躇いがあったのです。

しかし普段描いていると大概だれかが立ち止まり声をかけてくるのですが今日はだれもが通り過ぎる…いや、こちらがいるのを見ると引き返してしまう。

そうしているうちに車が1台止まった。
市役所の方と警察官が一緒に来たのだ。

公益目的で事前に申請しているのだが不審者として通報があったのだという。

やはりよい気分ではないが逆の立場からすると仕方がないしはじめてではない。

立入許可証と活動のパンフレットを渡し正規の活動と説明し無事了解された。

暫くすると何十人もの正装の紳士が目の前を通り過ぎて行く。
その中には先ほど確認しにきた役場の関係者もいた。

帰路立ち寄ってくれたので確認すると、予想通り復興大臣「根本匠」先生の被災地視察だったとのことである。

「第二次安倍内閣が発足したばかりなので閣僚や官僚の視察がいま多いのですよ」
と、役場職員が教えてくれた。
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