皆様へ

 

今日でクラウドファンディングを公開開始して9日目となりました。

台風が来ていますが、明日特に雨風強くなるようですが、皆様の地域が守られますように。

私事ですが、風邪をひいてしまいました。最近気温の変化が1日1日とてもあるので風邪をひかれた方は多いと思います。皆様のお体も守られますように。

残り34日となりましたが、1日1日できることの最善をしていく積み重ねです。

ご支援・ご協力のほど、よろしくお願いいたします。

 

 

今日はコメント第2弾として、共同通信社などでの記者活動後、現在就労移行支援事業所シャロームネットワーク総括、ケアメディア推進プロジェクト代表などさまざまな働きをしておられる引地達也氏から映画「はたらく」コメント文をいただいておりますので、ご紹介させていただきます。引地氏は当事者目線でのメディア活動をしており、私たちロゴスフィルムもそのような所がありとても共感できます。ぜひご覧ください。

 

 

「はたらく」を是非見てください

よき社会とよき隣人に向けて―心の呪縛に問いかける完璧な佇まい

 

 齋藤一男監督作品の映画「はたらく」(ロゴスフィルム製作)で突きつけるテーマは鋭くて、そして優しい。自閉症のしょうへい(長田翔平さん)を主人公として、映画の中心にいるその「俳優」のしょうへいは、型に収まりながら演技をする存在ではなく、その佇まいが受ける側としての「表現」として完璧である。

しかし、しょうへいはそれを表現していない。しょうへいは「いる」だけである。そこに障がいが「ある」だけである。齋藤監督はこの「いる」の存在感が完璧な主人公とともに、映画として表現した結果、一般と言われる私たちの「常識」への鋭い問いかけになっている。

 

私たちは作品中、しょうへいの「障がい」を見るのだが、実際には何を見ているのだろうか。巷間、私たちが見るのは完成品ばかりだ。完成されたストーリーと俳優による誤謬のない展開。見せたいものと見たいものの美しい相互コミュニケーション。多くの作品は「強制」により演技者として、または編集の工夫により作品として「見せるもの」へと完成されていく。それは作品として当然の作業であり、「完全」に仕上がっている。

 完全に対し、映画「はたらく」は「不完全」である。それは、俳優のしょうへいが、私たちが日々感じる「俳優」としてのプロフェッショナリズムを持ち得ていないからにほかならない。しかし、それを決めているのは何だろう。社会通念か、自らの経験値か、世間の暗黙知か。何を根拠に私たちは完全と不完全を決めているのだろう。

 

実は、私たちの生活の中で、自閉症の家族や関連業務に携わっていない限り、素のままの自閉症者の行動に接することはない。テレビや映画で扱われたとしても、一部が切り取られただけの、断片のうちの細部のほんの欠片に過ぎない。マスメディアや企業ジャーナリズムも当事者感を叫びながら、そこに近づき正確な問題を抽出する力はない。この映画の持つ力はそれらジャーナリズムのあり方への問いかけとしても受け止めることが出来るだろう。

交差点に立つしょうへいの映像は、何気ない立ち姿や顔のクローズアップで私たちの心に迫ってくる。彼がそこにただ「いる」だけなのだが、その前にしょうへいで「ある」ことに気づかされる。

おそらく多くの人がそこで「ある」と「いる」の距離感に気づかされるのだ。

その距離感を是非、多くの人に感じてもらいたい。きっと価値観、いや、心の呪縛を見つめ直し、「よき社会」について考えるきっかけになるはずである。

 

(了)

 

引地達也(ひきちたつや)仙台市出身。就労移行支援事業所シャロームネットワーク総括、ケアメディア推進プロジェクト代表並びに季刊「ケアメディア」編集長。一般財団法人福祉教育支援協会上席研究員、一般社団法人日本不動産仲裁機構上席研究員、精神科系ポータルサイト「サイキュレ」編集委員、ニュース屋台村運営委員、発達障がい者のための「大学」である法定外「見晴台学園大学」客員教授、コミュニケーション基礎研究会代表

 

就労移行支援事業所シャロームHP http://www.shalom-jp.org/

 

ケアメディアHP http://www.caremedia.link/index.html

 

 

以上となります。

 

仕事とは働くとは何か、障害を通して考えることでこれからの社会の在り方を一緒に考えていきませんか?

共感できる皆様のご支援・ご協力を心よりお待ちしております。

 

ロゴスフィルム 齋藤一男

 

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