「津波の被害で建物が壊れた障害者施設の皆さんが、一時的に避難している場所があるんですよ。廃業したホテルなんですけどね。そこで入所者のみんなが不安な気持ちで日々暮らしているそうだと聞いたので、是非音楽療法で励ましにいってもらえないですかね?」

 

長年の知り合いである宮古市の福祉施設職員さんから4月のある日電話で依賴をうけて、音楽療法のセッションを行いに初めてそのホテルに向かいましたが、なぜこれまで山田湾を一望できる高台に建てられたモダンなホテルの存在に、山田町には高齢者や児童の仕事で年に何度も訪れていたはずの私は全く気づかなかったのか不思議な気持ちになりました。坂の手前には津波で破壊されたコンビニエンスストアがあり、脇を通って上まで行くと広い駐車場があり、自衛隊のトラックが何台もとまっていました。ホテルの看板があったであろう入り口の脇には「××学園」という福祉施設の名称が掲げられていました。

 

「智田さん、ここから山田町の全体が見えますよ」

 

 同行した弟子Y(30代女性、性格すっとんきょう)が指差す方向に目を向けると、瓦礫に埋もれてすっかり変わり果てた山田町の姿を見渡すことができました。美味しいうどん屋や、せんべいを良く買っていた土産物屋、手打ちのラーメン店のあった大通りは、どこが道路なのかわからないくらいでした。

 

 ホテルの中に入り、出迎えてくれた職員さんに誘導されてついた場所は、丸いテーブルがたくさん並べてある宴会場でした。30人以上の入所者は椅子に座ったり、床であぐらをかいた状態でじっと我々を凝視しました。

 

「みんな、音楽の先生が来てくれたよ。楽しい音楽を聞いて、楽しい気持ちになろうね」

 

 職員さんの呼びかけに、手前にいたショートヘアーの太った女性が小さな声で

 

「歌、何でもいいの?」

 

と聞きました。私は職員さんのかわりに彼女の傍らに行って

 

「どんな歌が好きですか?」

 

と質問すると、アイドルのヒット曲や一昔前の大人気アニメの主題歌をリクエストされたので、すぐに伴奏付きで歌いました。徐々に場の空気が変わり、我々を取り巻いていた入所者の皆さんから、次々と他のリクエストも寄せられるようになりました。あっという間に約束の一時間が過ぎて、次週もまた来るという約束をして部屋を出ました。弟子Yと次回までに簡単な歌詞の冊子を作った方がいいね、と話しながら出口に向かう廊下を歩いていると、別の宴会場にある入所者の持ち物が山積みになっているのが見えました。何か足りないものはありませんか?とそばにいた職員さんに聞くと、とにかく日常で使う消耗品や衣装ケースが不足していると言われました。

 

「食べるものも、一人につき小さなミートボールとおにぎりだけで一日分ということもあります。色々と困っています」

 

「あんな大人数でこんな不便な場所での生活を続けるのは、どうしてなんですか?」

 

私が単刀直入に疑問をぶつけると、職員さんは

 

「彼らの心情を考えてのことです。津波前から彼らは家族から離れて暮らしていましたが、今は当時よりもっと心細くて不安でいっぱいだと思います。被災した彼らの家族も山田町の避難所などにいるので、すぐに家族に会える距離にいつづけたほうが良いと、我々は判断しました。そのために被災した職員も自分のことは我慢して、共に居続けるために頑張っているんです」


私はその晩、SNSでこの日の出来事を書き、つながっている人々に被災地における障害者の困窮を訴えました。何人かがこれを見て、施設あてに直接物資を送ってくださったようです。そして長い付き合いのある岩手県の福祉の中枢で働く女性に電話をかけて、行政は何か支援を行っているのかどうかと質問したところ

 

「施設長に今すぐ入所者を連れて内陸に避難するように助言したけど、頑として拒否されたんですよ。どんなお考えがあるのか分からないけど、物資が不足して補給もままならない今の被災地に彼らを押しとどめているのは、人権侵害でしかありません」

 

と激高していました。

不便な被災地で入所者たちと暮らし続ける、自身も被災した職員の心情は痛い程わかります。そして人権侵害だと声を荒げる行政側の言い分も間違ってはいません。どちらが正しくて、どちらが間違っているか‥などと、私が軽々しく判断するべきことではありませんでした。ただ、とても心が痛みました。

 

それからしばらくの間、午前中は宮古市の避難所、午後は山田町の廃墟ホテルでの障害者セッション、夕方からは同じ山田町のあちこちの避難所を訪問する日々が続きました。ホテルには徐々に内陸から仕出しの弁当が届けられ、惨状を知った全国からの支援物資も届くようになり、暮らし向きはちょっとずつ改善されていったのですが、セッション中に

 

「家に帰りたい、早く家族と暮らしたい」

 

と泣き出す人がいました。私に出来ることは、彼らの悲しい心を歌によってどこか楽しい場所へ運ぶために、懸命に音楽を届けることだけでした。時にはダンスで体を動かし、時にはイントロ当てクイズで笑いを誘いました。

 

ホテルから見える眼下の惨状も、日を追うにつれ変化していきました。自衛隊や工事の車両が行き交う国道はすっかり瓦礫も取り除かれ、災害ボランティアの数の増えてきました。夏がそこまでやってきていましたが、風の臭いは相変わらず生臭く(魚を冷凍保存していた倉庫が津波で破壊されたため)、驚くほどの蝿が飛び交っていたのを鮮明におぼえています。

 

 弟子Yと一緒に作った歌詞集をもとに、毎回リクエストコーナーを設けました。40代くらいの女性が、思い出の歌ということでアニメ「海のトリトン」の主題歌をリクエストしてきたので、弟子Yに伴奏をお願いしたところ

 

「トリトンって、あれですよね。イクラに乗った男の子の話ですよね」

 

と言い出しました。その場にいた全員がきょとんとした表情になり、私は

 

「‥イルカだよ。なんだよイクラに乗った少年って。乗れるか、イクラに」

 

とつぶやいたところ、職員を含めた全員が腹の底から大笑いしはじめました。

 

 その後、7月には離れた場所にあらたな仮設の建物が建設されて、大半の入所者は整った設備の施設へと無事に移ることが出来ました。それに伴って、我々の訪問も終了となりました。未だにイクラを見ると、当時の弟子Yのすっとんきょうな発言と、みんなの笑顔が思い出されます。

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