宮古市の川沿いにある小さな仮設団地に初めて訪れたのは2012年1月でしたが、その日参加者は無く、同行した知人の娘さん(当時中学生)と一緒に談話室のホワイトボードに落書きをして過ごしました。仮設巡回の初期は、かなりの確率で参加者ゼロの日があったのですが、不思議と焦りは無く、そのうち落胆もしなくなりました。自分でも無意識に、長期の取り組みになると覚悟していたからだと思います。

 

 川沿いの仮設は、我々が巡回しているローテーションの中では、最も世帯数の少ない団地のひとつでした。バイクが止めてあるのを見ると、比較的若い人も入居していたのだと思いますが、訪問日である土曜は人の気配が無く、二度目の訪問日も果たして人が来るのか‥と不安に思っておりました。が、お孫さん二人を連れたおばあちゃんが訪ねてきてくれました。

 

 お孫さんは小学生のお姉ちゃんと保育園児の妹で、二人とも見慣れない楽器に興味津々でした。一緒にマラカスを振り、おもちゃのチャチャチャを演奏した後、かるた遊びなどに興じて過ごしました。そろそろ活動終了時間という時に、今度は高齢の夫妻が入ってきました。彼らは川沿いの仮設ではなく、1kmほど離れた別の仮設から車で来たとのことです。彼らの仮設はここよりもっと世帯数が少なく、イベントやサロンで訪れるような談話室は備わっていないので、わざわざイベントの際は足を伸ばしているそうです。

 

「ん?これは音楽の慰問?」

 

 男性が聞きました。お坊さんのようなつるつる頭で眼鏡をかけていて、ハスキーな声でした。

 

「歌と体操のサロンと言って、慰問とはまたちょっと違うんですけど‥リクエストを受けて私が伴奏を弾いたり、一緒に歌ったり、こうやって楽器演奏したり。色々です」

 

 こう言うと、男性の目が「キラーン☆」と光りました。

 

「じゃあさ、あれ弾いてみてよ。北帰行」

 

 私が暗譜で弾き歌いすると、さらに

 

「柿の木坂の家と、啼くな小鳩よ」

 

 と、矢継ぎ早に題名が告げられます。運の良いことに、全て私が演奏できる範囲でした。こういうスリリングな瞬間は、ニット帽の男性がいた避難所以来です。一通り演奏し終わると、男性はとても興奮して、私を大変褒めてくれました。

 

「こないだも、どこか遠くから演奏の慰問があったんだけど、こっちからリクエストしても“用意してきた曲しか出来ません”と言われてね。こんなに打てば響くような対応は初めてだよ!いやー、良かった良かった。また来るの?楽しみにしているから来てよ」

 

 う‥そんなに期待されて、ハードルをあげられると困りますが‥でも正直、嬉しかったです。今度、リクエストされた曲が全く知らないのばかりだったら、ガッカリされちゃいますね、頑張ります。私は手放しに大喜び出来ないまま、どこか戦々恐々とした心持ちのまま仮設を後にしました。次回の活動が楽しみのような、怖いような。

 

 そして、その不安は次の訪問で的中しました。手ぐすねを引いて待っていたご夫妻から、今度はもっとマイナーな懐メロ(個人の感想です)がいくつも挙げられて、冷や汗が何リットルも噴出するような時間となりました。北原謙二「ふるさとの話をしよう」とか小林旭「惜別の歌」、芹洋子「坊がつる讃歌」などは楽譜が手元にあったのですが、唯一奥さんがリクエストした「僕は流しの運転手」という曲だけが見つからず、大急ぎで動画検索サイトを開いても、見つかりませんでした。

 

「すいません‥次回までの宿題にさせてください」

 

 私はがっくりとうなだれて、ご夫妻に謝りました。なんだか男性は愉快そうな顔をしていましたが、どこか勝負みたいな雰囲気もあったので、勝ち誇っていたのかもしれません。何だか悔しい。

 

 奥さんが自宅で焼いてきてくれた、ふっくらした炊飯器パンをお昼ごはんにいただきながら、男性の思い出話をゆっくりと聞きました。彼は樺太で生まれて、幼少期を厳寒の地で過ごしたと言っていました。

 

「珍内という集落があって、そこで生まれ育ったんだ。真冬になると、マイナス30度にまで気温が下がるから、それはもう寒かったよ。アイヌのコタンがあちこちにあって、面白い土地だったけどね」

 

 そして男性は「宗谷岬」をリクエストして、私が歌うのを聞いていました。

 

「戦争が始まった頃はまだ子どもだったけど、鮮明におぼえているよ。艦砲射撃があって、村の連中数百人と山を越えて逃げたんだ。行き着いた先には、日本兵が大勢死んでいた。悲惨な光景だったよ。ソ連兵が攻め込んできて、すっかり占領されたんだけど、食べ物に関しては特殊な事情があってね」

 

「なんですか」

 

「奴ら、パンしか食わないから倉庫の米は手付かずで残っていたんだ。それをちょろまかして食べてたから、飢えずにすんだんだよ」

 

 彼の話す武勇伝?はとても興味深く、訪問するたびに沢山のエピソードを聞くことが出来て、私はここを訪問するのがとても楽しみになりました。また、このご夫妻は別の仮設で開催されるサロンにもわざわざ足を運んで来てくださったので、宮古市の仮設住民の中で一番顔を合わせる二人になりました。まさか被災地で自分の追っかけがいるなんて!光栄なことでした。

 

 ところで奥さんがリクエストした「僕は流しの運転手」を自宅で練習して仮設で初披露した日、今度は奥さんが若かりし日の思い出を沢山話してくださったのですが、彼女はこまどり姉妹の追っかけだったそうです。なるほど、昔からそういうアクティブな方だったのですね。納得です。

 

 ご夫妻は顔見知りの仮設住民をご自身の運転でサロンに連れて来てくれたり、毎回お昼ごはんを全員にふるまってくれたりと、本当に世話を焼いてくれました。奥さんが作った手芸作品を私が預かって、学会の販売ブースで売り、そのお金を渡すなどの新たな交流も始まり、現在もずっと良好な関係を保っています。

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