私はコーヒーが飲めません。アレルギーがある訳では無いのですが、飲むと必ず胸焼けがして、しばらく気分が悪くなってしまうので避けています。しかし社会人として働いていると、例えば仕事先でコーヒーを出されたり、食事をご一緒した際に何も聞かずにコーヒーが運ばれてくることが多く、そのたびにいちいち断るのも面倒なので、たまに一口だけ飲むこともありますが‥慣れません。

 

 宮古市のとある仮設には、毎回我々を歓迎してご自慢のコーヒーをごちそうしてくださる男性がいます。細身で眼鏡をかけていて、物腰が柔らかく口調も上品な方なので、どこかで純喫茶でもなさっていたのかしら?と思っていたのですが、そんなことも無く、元々普通の会社員だったそうです。

 

 器を事前に温め、談話室の台所で湯を沸かし、丁寧に豆を挽いてから淹れてくださるコーヒーは、彼の支援者に対する歓迎と感謝の気持ちが最大限こもっていました。こんなに気持ちのこもったコーヒーを無碍に断ることは出来ない‥けど、活動前に気分が悪くなるのも避けたい‥逡巡する私を横目に、アシスタントなすちゃんが美味しそうに飲んでいます。私は思い切って熱い液体を口に入れて、ゆっくりと飲み込んだあとに添えられていたコップ一杯の水を飲みました。

 

「ここのお水、美味しいでしょう」

 

 男性が優しくほほえみかけてくれました。確かに、お水とても美味しかったです。それに、いつもの胸焼けが全く起こりません。そうか、一緒に水を飲めば胸焼けしないのか、と私は気付きました。飲みなれないコーヒーの味は、苦さの中にほんのりと酸味が感じられて、奥深いなあとしみじみ思いました。

 

 そこは大所帯の仮設団地でした。平均年齢が高く、独居の高齢者が一人暮らしをする部屋も少なくありませんでした。そのせいか、我々の活動にもお互い声をかけあって、居室からえっちらおっちらと杖をついて互いに支えあいながら、足を運んでくれました。彼らは元々、漁師町に住んでいたご近所さん同士だったそうです。コーヒーの男性も同じ町内会で、この仮設はみんな一緒に引っ越すことが出来て良かった‥と話していました。

 

「よその仮設だと、あちこち別な場所からの寄せ集めみたいなところもあるでしょう。どちらにもメリット、デメリットはあるだろうけど、仮設団地の場合は最初の自治会立ち上げが最もハードルが高いから、全体がもともと知り合いだったというのは話が早くて良いという側面もあるんですよ」

 

「ここの皆さんが集まると、傍から聞いていて冷や冷やするような会話も時折聞かれますね」

 

「みんな、浜育ちですからね。多少、言葉は荒いかもしれません」

 

 天井近くの壁には、他の支援者が描いた男性の似顔絵の色紙が飾られていました。コーヒーカップを片手に、満面の笑みを湛えている絵は実物にそっくりでした。

 

「音楽の先生に、ひとつお願いがあります」

 

 ご自身で淹れたコーヒーを飲み終わり、男性が私に向き合いました。

 

「なんでしょう?」

 

「仮設に住んで数ヶ月が経ちましたが、ここから先はどうなるのか行政も我々も全く見通しが立っていません。今はイベントやボランティアも多く、賑わっていますが、やがて全国的に忘れ去られるでしょう。ここは年寄りばかりの仮設で、みんな時間がそれほどありません。仮設という仮の住まいで死ぬのは本意では無いですが、自分の力ではどうにもならないことばかりです」

 

 私は返す言葉も無く、ただ黙って耳を傾けるばかりでした。

 

「あと、四年」

 

「四年?」

 

「四年は、通い続けてください。我々が元々住んでいた地区の復興住宅が建設される計画を見ると、完成が四年後のようです。細々でもいいので、是非それまで続けて下さい」

 

 男性の眼差しはまっすぐ私へと向けられていました。あと四年、ここの人々はずっと狭く不便な仮設生活を余儀なくされる。段々と全国からの支援も減り、行政からの手当ても貧しくなっていくであろう‥そんな悲観的な思いを抱えている彼らに、私は何が出来るのでしょう。男性は、ただただ、訪ねて来てほしい‥と言ってくれました。足を運び、共に時間を過ごし、声を出して歌を歌うだけで良いと。

 

 その日の活動冒頭、一番元気の良い仮設の女性が入ってくるなり

 

「楽しみにしてたよ!ようおでんした!」

 

 と我々に大きな声で挨拶をしてくれました。大急ぎでコーヒーカップなどを片付けて、持ってきた歌詞幕(模造紙に毛筆で懐メロや童謡の歌詞を書いたもの)を年代別に床に並べ、キーボードをセッティングしました。元気な女性は早速、床に這いつくばって、熱心に最初のリクエスト曲を選び始めました。

 

「これ、いいんじゃない?ね!これ、歌おうよ」

 

 既に会場は仮設住民の皆さんで溢れかえっていましたが、元気な女性の選んだ歌に皆さん拍手で同意しました。

 

「わかりました、今日のはじまりの歌はこれにしましょう」

 

 私はそう言って、ホワイトボードに歌詞を貼りだし、キーボードでイントロをひきはじめました 女性が選んだのは「朝はどこから」というラジオ歌謡でした。

 それは希望の家庭から、朝は来る来る、朝は来る。おはよう、おはよう。

 

 私というちっぽけな存在が、ここの皆さんに希望という朝を運ぶことが出来るなら、どうして四年ぽっちの活動を拒む理由があるでしょう。これほど自分にとって喜ばしい役目はありません。私も女性に負けず、元気な声でおはよう!おはよう!と歌いました。

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