「戦没学生のメッセージ」が開催されました

「戦没学生のメッセージ」レポート

                   東京藝術大学演奏藝術センター 大石 泰

7月30日(日)、皆さまのご支援のおかげをもちまして「戦没学生のメッセージ~戦時下の東京音楽学校・東京美術学校」のシンポジウム、並びにトークイン・コンサートを開催することが出来ました。改めて御礼申し上げます。

当日、おいでになれなかった方もいらっしゃると思いますので、当日の様子をご報告させていただきます。

 

シンポジウム「戦時下の東京音楽学校・東京美術学校~アーカイブ構築に向けて」

シンポジウムは午前11時から、東京藝術大学音楽学部内第6ホールで開催されました。冒頭の東京藝術大学・澤和樹学長の挨拶に続き、吉見俊哉氏(東京大学大学院教授)の司会進行の元、西山伸氏(京都大学大学文書館教授)、佐藤道信氏(東京藝術大学美術学部芸術学科教授)、橋本久美子氏(同音楽学部大学史史料室講師)の3名のパネリストが報告を行い、「学徒出陣」の調査研究の意味、戦時下の記録の状況、アーカイブの役割と可能性など、様々な観点から問題提起がなされました。

パネリストの方々(左から司会の吉見俊哉氏、西山伸氏、佐藤道信氏、橋本久美子氏)

われわれの予想を超える260名のお客さまが詰めかけ、ホール内に入場できない方も出てしまいました。入場できずロビーで聞かれることになった皆さまには、本当に申し訳ありませんでした。

お客さまの中にはご親戚、友人を先の戦争で亡くされた方ばかりか、午後のコンサートで取り上げる戦没学生の村野弘二さんの戦友もいらっしゃり、熱心な質疑応答が続きました。戦後72年を経た今なお、戦争の記憶が消え去っていないことを目の当たりにしましたが、一方で、それがいつまで続くのだろうか、決して風化させてはいけないという思いを強くしました。

大勢のお客様が熱心に耳を傾けました

 

トークイン・コンサート「戦没学生のメッセージ」

トークイン・コンサートはシンポジウム終了後、1時間のインターバルをおいて午後2時から奏楽堂で開催されました。開場時にはすでにお客さまが入場待ちの列を作るなど、コンサートに寄せる期待の高さがうかがわれました。

「トークイン・コンサート」というのはー私が勝手にそう呼んでいますー単に曲を演奏するだけでなく、お話しを交えて進行するコンサートのことです。今回は私自身(大石)が構成と進行を担当し、全体を2部に分け全15曲(戦没学生の作品は14曲)をプログラミングしました。

葛原守(1922.10.22~1945.4.12)

コンサートは、西條八十の詩に葛原守さんが曲をつけた歌曲《犬と雲》(Ten:澤原行正/Pf:松岡あさひ)でスタートしました。司会によるコンサートの趣旨説明に続いて、同じく葛原作品の歌曲《かなしひものよ》(Sop:金持亜実/Pf:松岡あさひ)、そして無題のオーボエ独奏曲(Ob:河村玲於/Pf:小鍛冶邦隆)が演奏されました。

葛原守《オーボエ独奏曲》(Ob:河村玲於/Pf:小鍛冶邦隆)

オーボエの曲はタイトルがつけられていないことからも分かる通り、清書された譜面ではなく、果たして完成された作品と呼べるのか微妙なところもありましたが、今回は作曲科の小鍛冶邦隆先生に、いろいろ修正の跡が見える譜面の校訂をお願いして、演奏譜を作成していただきました。このオーボエ独奏曲の主旋律は、《かなしひものよ》の歌の同じメロディが使われています。

ここで大学史史料室の橋本久美子先生による「戦時下の「記録」と「記憶」を未来へ」という最初のお話が入りました。橋本先生は、この日取り上げる4人のプロフィールを順番に紹介しましたが、冒頭で4脚のイスに「おかえりなさい」という文字を添えたスライドを用意し、4人の戦没学生を奏楽堂へ迎えるという姿勢を示されました。

橋本久美子先生のトーク

鬼頭恭一(1922.6.10~1945.7.29)

橋本先生のお話が終わると、突然奏楽堂に大オルガンの響きが鳴り渡りました。二人目の戦没学生・鬼頭恭一さんの《鎮魂歌》(Org:中田恵子)です。楽器指定のない4声部のコラールで、この日の演奏は、橋本先生によって戦没学生だけでなく、すべての戦争犠牲者へのレクイエムとして捧げられました。

鬼頭恭一《アレグレット ハ長調》(Vn:澤和樹/Pf:迫昭嘉)

続いて澤学長と迫音楽学部長という豪華な共演で、同じく鬼頭恭一さんの《アレグレット ハ長調》が演奏されました。この曲も速度標語として「アレグレット」と書かれ、なおかつ調性がハ長調というだけで、鬼頭さんはタイトルをつけていません。

そして、作曲科の小鍛冶邦隆先生の「戦時下の作曲教育」というお話をはさんで、鬼頭さんの最後の曲として歌曲《雨》(Mez:永井和子/Pf:森裕子)が演奏されました。戦場に散った恋人の形見の品を受け取った女性の深い悲しみを描いた曲で、《カルメン》のようなオペラを書きたかったという鬼頭さんの思いが現れた劇的な構成の歌でした。

メッセージ・トーク「戦争体験者の声を聴く~現役学生との対話」

そして第1部の後半は、作曲家の大中恩さん(93歳)と洋画家の野見山暁治さん(96歳)という東京藝大の大先輩をお迎えし、現役学生たちと対話するメッセージ・トーク「戦争体験者の声を聴く」でした。

草川宏《級歌》(Cond:千葉芳裕/藝大学生・卒業生有志コーラス)

冒頭、草川宏さんがクラスの歌として作曲した無伴奏合唱曲《級歌》(Cond:千葉芳裕/藝大学生・卒業生有志コーラス)のメロディに乗ってゲストが登場して始まりました。大中さんと野見山さんお二人の飾らない発言は、戦時下における学生たちの生活や意識を浮き彫りにするものでした。時には会場の笑いを誘い、聴衆の皆さまにも深い共感をもって受け入れられたようでした。

野見山暁治氏(中央)と大中恩氏(右)

現役の学生たち(音楽学部作曲科の2年生が3名、美術学部油画科修士課程の学生、それに同じく先端芸術表現科博士課程の修了生)も、時代の違いにとまどいながらも両氏のお話に真剣に耳を傾け、先端芸術表現科を修了した笹川治子さんは、野見山さんに藤田嗣治の戦争画「アッツ島の玉砕」を見た時の印象を尋ねるなど、積極的にこの機会を活用していました。当初は70歳以上の年齢差もあり、果たして話がかみ合うのか不安もありましたが、学生たちが押しなべて準備をしてこの場に臨んでいることが見て取れました。

そして最後に、大中さんが学生時代に遺言のつもりで作曲したという歌曲《幌馬車》(Ten:澤原行正/Pf:松岡あさひ)が演奏され、このコーナーが締め括られました。作曲者の目の前で歌うことになった澤原さんは、さぞかし緊張したことでしょう。

大中恩〈幌馬車》(Ten:澤原行正/Pf:松岡あさひ)

草川宏(1921.10.28~1945.6.2)

休憩後の第2部では、草川宏さんと村野弘二さんの作品が紹介されました。草川宏さんは《夕焼小焼》などの童謡の作曲者として著名な草川信さんのご長男です。宏さんの弟さんが大切に保存されていた自筆楽譜をお預かりして、《級歌》を含めて4曲を演奏することにしました。音楽性とは無関係ですが、今回取り上げた4人の作曲家の中で、草川さんの譜面が一番きれいに書かれていました。

草川さんは特に島崎藤村の詩が好きだったようで、《秋に隠れて》《蟹の歌》《黄昏》《浦島》と藤村の詩に作曲された歌曲が4曲もありました。その中から《黄昏》(Bar:田中俊太郎/Pf:松岡あさひ)と《浦島》(Ten:澤原行正/Pf:松岡あさひ)の2曲が演奏されました。

草川宏《ピアノソナタ第1番》(Pf:秋場敬浩)

そして草川作品の最後は演奏時間20分の大曲《ピアノソナタ第1番》(Pf:秋場敬浩)でした。草川さんはピアノソナタを2曲遺していて、譜面そのものに1番、2番と番号が振られているわけではありません。しかし作曲年が判明していて、今回は昭和16年、本科1年の時に作曲されたヘ長調のソナタを取り上げることにしました。当時演奏されたかどうか記録になく、少なくとも公開の場で演奏されるのは今回が初めてだと思われます。

草川宏さんの日記

また、弟さんからお預かりした資料の中に草川さんの日記がありました。昭和19年の元旦から、召集令状を受け取る6月初旬までの記述ですが、その一部が金持亜実さんによって朗読されました。そこには学校での出来事と共に、ひとりまたひとりと仲間が戦場へ旅立つのを見送る辛い心境など、時局を感じさせる内容も綴られています。

村野弘二(1923.7.30~1945.8.21)

そして最後に、村野弘二さんの歌曲が4曲紹介されました。まず南北朝時代の後醍醐天皇の皇子・宗良親王の短歌に作曲された《君のため》(Bar:田中俊太郎/Pf:松岡あさひ)、続いて大木惇夫の詩に作曲された《この朝のなげかひは》(Bas:高崎翔平/Pf:松岡あさひ)、そして三好達治の詩に作曲された《重たげの夢》(Bar:田中俊太郎/Vc:成田七海/Pf:松岡あさひ)が演奏されました。この《重たげの夢》にはピアノだけでなく、オブリガードとしてチェロも加えられていました。

村野弘二《重たげの夢》(Bar:田中俊太郎/Vc:成田七海/Pf:松岡あさひ)

そしてコンサートのトリを飾ったのはオペラ《白狐》より第二幕〈こるはの独唱〉(Mez:永井和子/Pf:森裕子)でした。台本は岡倉天心が英語で書いた三幕もので、それを清見陸郎が日本語に訳したものをベースに作曲されています。物語はキツネ(こるは)と人間(保名)の悲恋で、歌舞伎の演目としても有名な「葛の葉伝説」が元になっています。〈こるはの独唱〉はその第二幕、こるはが命の恩人である保名を救うため、自分を人間の姿にしてほしいと月に祈るシーンで歌われる美しい歌です。しかし大変残念なことに、この部分の楽譜しか残っておらず、それ以外の部分は空襲で失われてしまったと考えられています。演奏者の永井先生はこの歌を歌うのが2度目でしたが、最初に出会った時から高く評価していて、こんなに早く再び歌うチャンスが巡ってきたことを大変喜んでいらっしゃいました。

村野弘二 オペラ《白狐》より第二幕〈こるはの独唱〉(Mez:永井和子/Pf:森裕子)

こうして3時間に及んだトークイン・コンサート「戦没学生のメッセージ」は幕を閉じました。入場者数は約700名でした。

 

展示について

今回のイベントは東京音楽学校の戦没学生に重きを置いたものでしたが、志半ばで命を落とすことになった学生は、もちろん東京美術学校にも大勢いました。そうした学生に思いを馳せるため、東京美術学校に在籍した戦没画学生の自画像を5点、奏楽堂ホワイエに展示しました。これは大学美術館が所蔵するもので、当時油画科の学生は卒業年次に課題の一つとして自画像を提出することになっていました(この伝統は現在も引き継がれています)。

戦没画学生の自画像(東京藝術大学大学美術館所蔵)

また戦没画学生の絵画作品は、野見山さんと窪島誠一郎氏が信州上田市に開設した戦没画学生慰霊美術館「無言館」でも見ることができます。今回はその無言館の協力を得て、たくさんの収蔵品の中から特に東京美術学校出身の戦没画学生の作品画像をお借りし、奏楽堂ホワイエならびに6ホール前ロビーで繰り返し上映いたしました。

奏楽堂ホワイエの様子

またその他、ご遺族からお預かりした自筆楽譜や日記などの貴重資料、さらに当時の演奏会プログラムや学生たちの生活が偲ばれる写真パネル等、本学の音楽学部大学史史料室と美術学部教育資料編纂室が所蔵するさまざま資料も展示され、多くのお客さまが熱心に見つめていました。

展示資料を見る人たち

 

お客さまの声(アンケートより)

テーマがテーマだけにお客さまの年齢層は高めでした。寄せられたアンケートからいくつかのご意見をご紹介します。

・私どもすべてが、とても良質ないい時間をいただいたと感じました。美校+音校、戦争と平和、青春(青年)と追憶(老年)。企画がまことに斬新で意義深く感心しました。(70代男性)

・私の父も昭和17年3月にシンガポールで戦病死。でも今日の学生さんが生きておられたらと、深く思わずにはいられませんでした。(70代女性)

・戦没学生のメッセージは、まだたくさんの資料が埋もれていると思います。時間はあまりありませんが、これからも続けてほしいです。(50代男性)

・とても良かったです。もっと生きて作曲したかったでしょうに!(60代女性)

・大変良い企画であると思う。終戦時、書類を焼き捨てたことですべてなかったことにして、考えることまで忘れて現在に至ったツケが、70年以上過ぎた現在の混乱を生んでいると思う。人は生まれる時を選べない。いつの世に生まれても人間らしく生きられる、そのような時代を創っていくのが、私たちの務めと思う。(女性)

・勇ましい曲がたくさん流れるのかと思ったら、優雅な曲が多くて驚きました。大中さんのお話が面白かったです。現場のホンネという感じでした。(40代女性)

・タイミングが遅かった感がある。関係者が多く健在の時にできれば、もっと良かったと思う。(70代男性)

・今回の企画は、東京藝大でしかできないものだと思うので、今後も継続的に企画されることを期待します。(40代)

・過去を振り返り、いまを考える大変意義ある催しでした。同じ戦没者でも、こうして音楽や絵画により生きた証を残せた芸術系の学生は、ある意味うらやましいです。ピアノに隠れて、文字の画面が見づらかったのは残念です。(60代男性)

・大変心のこもったすばらしい内容で、感激しました。戦没された学生さんたちもどんなにお慶びか涙が出ました(過去の方たちが忘れられるのは悲しいです)。(50代女性)

・演奏は1回限りのもの。発掘された曲も演奏されなければ楽譜というただの紙切れ。一般の人も楽譜が入手できるようにし、さまざまな機会に演奏されるように希望します。(50代男性)

・予想していたより良かった。女子学生の「(学徒出陣など)これは学生が背負うべき問題ではない」という言葉が重い。(60代男性)

・良い企画だと思いました。信時・橋本などの戦中の国策に沿った作品も合わせて演奏すると、藝大の体験した戦争の総体がより明らかになると思います。(20代男性)

・無言館も涙なくしては観れないのですが、本日も悲しくなりました。でも曲は暖かさものどかさもありました。1945年3月に叔父が戦死しております。戦争はいやです!(70代女性)

・大変良かったです。演奏、歌はもちろんのこと間のトークも非常に楽しく、また様々なことを感じました。(30代女性)

 

最後に一言

7月30日(日)のイベントは終わりましたが、これはあくまで通過点に過ぎません。あるべきアーカイブの構築に向けて、我々の前には解決しなければならない問題が山積しています。いわば、このプロジェクトにゴールはないとも言えます。これからも引き続き我々の活動を見守っていただきたく、よろしくご支援のほどお願い申し上げます。