支援総額
目標金額 500,000円
- 支援者
- 22人
- 募集終了日
- 2014年6月11日
カンボジアの地雷
こんばんは!プロジェクトも残り10日を切りましたが、まだまだ目標金額には足りません。皆様のご支援どうぞよろしくお願い致します。
さて、今夜はカンボジアの負の部分のイメージといってもいい「地雷」についての記事です。
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カンボジア滞在中、CIFTOの日本人スタッフ堀木さんと地雷について話しました。
1960年代後半のベトナム戦争に巻き込まれて以来、約30年以上におよぶ戦争状態が続いたカンボジアで使われた地雷の数は、推定400万から600万個とも言われます。
特に大虐殺を行ったポル・ポト政権が終わった1979年以降、ポル・ポト派、政府軍、そしてシハヌーク派、ソン・サン派の4派による内戦では、大量の地雷を使われました。
狭い国土に大量の地雷が使われたため、埋設密度は世界一と言われています。
しかもそれぞれの勢力のそれぞれの部隊が地雷を好き勝手に埋めたため、地雷をどこに敷設したのかを記す地雷マップも作成されませんでした。
そのため今でも地雷撤去が続いています。
地雷撤去では、地雷だけでなく、戦争中に使われた不発弾などの戦争残存物も撤去しなければいけません。
内戦中はもちろんのこと、ベトナム戦争中に米軍が空爆したのはベトナム領土だけでなく、ラオス、カンボジアにも大量の空爆をしました。
米国議会が1973年8月にカンボジアへの空爆停止を決定するまで、第2次世界大戦中の日本への爆撃の3倍以上にあたる50万トンの爆弾が米軍によってカンボジア国内に落とされ、おびただしい数の死傷者を出しました。
停止されるまでの最後の6ヶ月間に落とされた爆弾は、およそ54万トンの半分の量にもなるといいます。当時落とされた爆弾のうち10%は不発弾になるとされています。
カンボジアにはまだまだ地雷がたくさん埋まっています。
市街地、またCIFTOの周辺ではそのようなことはありませんが、少し田舎の方へ行くとまだまだあるそうです。
堀木さんがお仕事の関係で行かれるバッタンバン(カンボジア北部)にも少し田舎の方へ行くとあるといわれています。
カンボジアでは貧困の差が激しく、地雷があるとわかっていながらもそこで生活をしなければならない現状があるのです。
地雷があるその土地中に住み、耕し、作物を植えて生計を立てていかなければならないのです。切実な現実です。
この看板が立っている所には地雷があるというしるしです。
しかし、まだ土地を検査していないところには恐ろしいことに看板がたてられていないそうです。 看板によってこれから除去作業を進めていく、ここに地雷があるということが認識されています。
看板が無いから安心とはいえないのです。
話を聞いていなかったら知らなかったことばかりでした。
カンボジアに来て初めて知ることができました。
地雷除去された後は、学校が立てられたり人々のために土地を提供されたりしていました。
もちろん道も舗装されているので、現地の人たちは便利に、そして安心して生活ができるようになっています。子ども達も学校へ通うことができています。
私自身が学ぶことがたくさんありました。
カンボジアと日本は言葉も違えば生活の仕方も、習慣も違います。
しかし安心した暮らしがしたいという思いは同じです。
(担当:古)
リターン
3,000円
1)お礼状
2)CIFTOグッズ(ミサンガ等)
- 支援者
- 7人
- 在庫数
- 制限なし
10,000円
1)、2)に加えて、
3)日本人観光客に人気の雑貨店、「クマエユーン」さんの雑貨セット
(ヤシの実でできた像のコースター、竹製ペンスタンド、シルクのポーチ・
カードケース・洗顔ミトン&ケース、スカーフ、石けんセットの以上8点から
2点)
- 支援者
- 11人
- 在庫数
- 制限なし
30,000円
1)~3)に加えて、
4)「ブライ君チョイス」のカンボジアお土産品
(「キッチン用品」「バス・洗面用品」「文具類」「衣類(ストール・シャツ等)」からジャンルを1つお選び頂き、<応援コメント>欄にお書きください)
5)報告会ご招待券
- 支援者
- 4人
- 在庫数
- 制限なし
50,000円
1)~5)に加え、
6)ブライ君の日本滞在中に「ブライ君とお会い頂ける権利」をご用意しております。
- 支援者
- 4人
- 在庫数
- 制限なし