私が自分の活動の話をすると、一番よく聞かれるのが
「どうしてその活動をしようと思ったんですか?」です。
READYFOR本文にも書いたんですが、私には「恩師」がいます。
彼に出会うまで、私は教育になんて興味は全くなく、というか社会に興味がなく、ボランティアなど理解すらできず、むしろバカにしていました。

 

恩師の言葉で、もっとも印象に残っているのは二つです。
一つ目は、「自分が生きている意味を、2時間は語れるようになれ」
もう一つは、「本当の教育とは、『魂』の教育なんだ」

 

まさに、この『魂』の教育というのを、私は恩師から受けたと思っています。
今回は、ちょっとそのあたりを詳しくお伝えしてみようと思います。

 

(いつも「先生」と呼んでいるので、ここからは先生と書きます)
先生に出会うまで、先述の通り、私は教育にも、社会にすら全く興味がなく、他人に貢献しようとする人の気持ちなど理解できませんでした。
勉強は出来たので、色々深いことを考えているフリをしつつも、その本当の意味は分かっていなくて、自分の頭で本当に何かを考えたことがなかったと思います。

学校で習う全てのこと、例えば歴史や文学を、「おハナシとして面白いか、面白くないか」で判断していました。

もし面白くても、「面白いおハナシだな」以上の意味を感じていませんでした。単なるエンターテイメントというか…。

面白くなければ、あとは「テストに出るのか、出ないのか」しか考えませんでした。

(ちなみに文系だったので、数学や化学等は思考すら放棄していました)

 

今、自分が生きていること、これから生きていくことと、学校で勉強することが、欠片も結びついていなかったんだと思います。

 

ところが、高校2年生のとき。
たまたま選択授業で「倫理」を取って(英語か数学か倫理で、英語はできたし、数学は捨ててたので倫理にした…)、先生に出会いました。

先生は大学で院を含め7年間哲学をやってきた人で、変な人でした。
「新聞部」の顧問でしたが、一度も新聞を発行したことはなく、そこは先生と哲学や社会科学系の本を徹底的に輪読する、非公式の「ゼミ」でした。

人数が少なかったその倫理の授業も、ほぼそのゼミと同じ内容になり、一度も倫理の教科書は開きませんでした。

 

最初、舐めくさった態度だった私に、先生は、

「コイツは自己中すぎる。何を言ってもダメだ」

と思っていたそうな。
しかし、ある日学校で、立派な若い起業家の講演会があり、私がその人の話をバカにしたのをきっかけに、先生もさすがに腹が立ったのか、ものすごく強く諭されました。

「あの話をつまらないと感じたなら、お前はもう終わってるぞ」
「今俺がこのことを教えてやらなかったら、お前は50歳くらいになるまで気づかないぞ」

みたいなことを言われた記憶があります……。
そのあとにどんな話をされたのかは覚えてないんですが、とにかく、私はそれ以来、なんとなく先生のゼミに参加するようになりました。

 

活動の動機と恩師について/下」に続きます!

 

(写真 ⒸFinn13) 

 

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