震災当時、地元の名取市立閖上小学校に通っていた当時5年生であったひとりの少女。

彼女は2011年3月11日の震災当日、学舎の窓から、生まれ育った閖上の町が津波の被害に遭う様子を目の当たりにし、校舎で一夜を明かすことになりました。 彼女は翌月に、間借りの別校舎として歩みを始めた小学校で、新任の先生を迎える着任式にて、児童代表の挨拶を務めることとなりました。

 

「自分の体験した津波の事をしっかりと伝えたい」

 

しっかりとした意思でその体験を伝えたそのメッセージは、学級通信に掲載され、たくさんの親御さんに伝えられる中で大きな反響を呼ぶようになりました。

その後彼女は、仙台市で開催された「第一回東北六魂祭」のフィナーレで感謝のメッセージを朗読するように依頼され、その様子は世界中に配信されることとなりました。
東京の復興支援イベントでの朗読、アメリカ・ロスアンジェルスのドジャースタジアムで開催されたメジャーリーグ公式戦での始球式への参加など、被災地のメッセージを届ける大役を次々と果たしていったのです。

 



「輝く太陽がなくなったら、私が小さく輝けばいい、小さな私でもだれかの心の光、希望のひかりとなるように一生懸命頑張ります」

 

このメッセージの発信主である彼女の名前は、菊地里帆子さん。
里帆子さんとのご縁をつないでくれたのが、私たちの理解者である言の葉アーティストの渡辺祥子さんです。
この物語は、河北新報社のオピニオンサイト「オピのおび」に投稿され、また渡辺さん自身の出版本であるエッセイ集「3.11からのことづて」にも収められています。

閖上の震災を知る上でも、ぜひ下記リンクにてこちらの物語を一度お目通しいただけたら、とても幸いに存じます。
http://blog.livedoor.jp/kahokushimpo/archives/54648445.html


そして、「閖上クラフトエイド2015」では、里帆子さんの母校である名取市立閖上小学校ともご縁がつながりました。
それはつぎのお話で・・・

新着情報一覧へ