夏休み。

テレビでは、高校野球の放送も増えてきました。

8月に入ると、全国の予選を勝ち抜いてきた各県代表の高校が

夏の甲子園で戦いますね。

 

実は、トモプロは、そんな野球と、とても密接なつながりがあるのです。

いえ、野球がなかったら、トモプロは存在しなかった、と言えます。

 

今回のお話は、そんな「野球とトモプロ」の関係をお話ししたいと思います。

 

どうして、トモプロが誕生したのか。

そんなお話を、今回の新着情報では、

少しづつお話ししていきたいと思います。

 

 

あれは、2011年3月の東日本大震災。

東北を中心に起こった未曾有の災害は、当時、東京にいた私や、

私の家族にも大きな影響を与えました。

 

当時5年生だった私の息子は、

杉並区の少年野球チームにいて、

毎日野球を頑張っていました。

決して強いチームではなかったのですが、

5歳の時から始めた野球は、

彼のすべてであり、日曜日も、休みの日も、

夏休みも、冬休みも、全部、野球漬けの毎日でした。

 

そして、6年生に上がる冬、

杉並区は、友好関係にあった南相馬市の少年野球チームと、

杉並代表選抜メンバーとで、練習試合を毎年やっていました。

それまで、福島にも、南相馬にもなんの縁もなかった私たちが

息子が、杉並代表のメンバーに選ばれたことで

一気に「南相馬」という土地を知りました。

息子は、杉並代表の内野手として、頑張っていました。

 

そんな頃、震災が起こりました。

 

うちの野球チームの監督さんは、

「実は、自分がきっかけで、杉並と南相馬の災害相互援助協定は結ばれたんだ」と当時の経緯を話してくれて、

そんなご縁もあったので、震災でとても大変な状況になっている

南相馬に、野球の支援をしようと提案してくださいました。

 

私もニュースなどで南相馬を見ながら、これは大変なことなだと思い、

何かできることはないかと、

津波で道具を流されたり、野球場に瓦礫を積み上げられたりした子供達に、

バットやグローブを送るお手伝いをさせていただきました。

 

チームのみんなから、お古のバットやグローブを集めて、

南相馬に送る支援をしていた時、

だんだんテンションが上がってきたのか、

野球部倉庫の中にあった、父さん野球の値段の高いバットも、

箱に詰めて送ってしましました。

使わなくなった子供用のバットにしては、大きくて立派だなあと

思いながらも送ってしまい、

あとで、お父さんたちに怒られました(笑

 

けれど「これも支援だと思って、南相馬に寄付しよう」とお父さん方も言ってくださり、そのようにしようと、

南相馬の少年野球事務局にお電話したところ

 

 

「なんだか、立派な大人用のバットが入ってたんだけど、これは、間違いでしょ(笑)そちらの大事なものだろうから、いつになるかわからないけど、

繰り返しますよ。」と言われたのです。

 

 

どう考えても、杉並よりも大変な状況にある南相馬の方から

こちらを心配する言葉をもらい

恐縮してしまった私は

「いえいえ、そんな、大変な状況にいらっしゃるのに、申し訳ないです。今から、取りに行きます」

 

と、答えました。

 

 

けれど

「南相馬には、入れないよ。子供達もたくさん避難してる。大人たちも少なくなってるし、普通には、ここには入ってこれないよ(笑」と言われたのです。

 

「東京も大変でしょう。こっちは大丈夫だから、そっちも頑張ってね」

 

と、それから毎日のようにお電話でやりとりをしたのが、

南相馬のパン屋さん、パルティールの只野さんでした。

 

 

びっくりしました。

 

南相馬を心配してる私が、逆に、心配される。。。

 

役に立ちたいと思って支援していたのに、

逆に、お手間をかけてる。。。。

 

いつも電話口で、元気な声を聞かせてくれる、少年野球事務局の只野さんは、

毎日100個のパンを無料で避難所に配り、

人の少なくなった南相馬市で、毎日パンを焼き続けてると言われました。

 

 

その頃から、私の中の、何かが動き始めたのです。。

 

 

これは、何かしなくちゃいけない。

 

本当なら、夏休み、南相馬に野球の合宿に行けるはずだった息子も、

もちろん、南相馬への遠征はなくなり、

ちょうど中間にある、取手市での野球合宿をすることになりました。

 

 

南相馬という場所に、どうしても、行きたくなったのです。

 

 

野球では、いけないなら、

音楽で、行って、何かの役に立たなければ。。。。と

この頃から、私は強く思い始めました。

 

 

そして息子が6年生の夏、

杉並代表として、また南相馬少年野球チームと、練習試合をしました。

 

 

まだ、私は、南相馬の地を踏む前の、2011年、夏休みの頃です。

 

 

 

 

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