震災から1年後の2012年。

 

屋外で遊ぶことが難しくなった南相馬の子供達のために、

遊ぶ場所を作る市民活動をしていた「みんな共和国」

 

パン屋さんの歌を作ったことで南相馬に縁ができ、

通い続けていた私に

「俺らの歌も作ってくんねえか」と声をかけてきた

高橋くん。

生粋の南相馬人の彼は、この街を愛し、

この街から何かを変えていかなくちゃ

子供達も、大人たちも疲弊してしまうと、

肌で感じていた。

 

それまで市民活動なんってやってこともなかった高橋くんは、

震災後、彼の中に眠っていたかのような正義感と、男気と、

行動力をフルに使って、「みんな共和国」を立ち上げ、

自らを国王と名乗って活動を始めた。

 

 

そんな人たちと作り上げた「みんなのうた」

 

 

 

この歌が、私を南相馬に、強く強く結びつけたのです。

 

 

さあみんな 夢の中へ

おいで おいで おいで

僕たちの楽園

みんなのうた

 

 

 

このメロディーと歌詞は、ある朝、目覚めると同時に私の頭の中で鳴り響いていたのを、いまでも覚えています。

そして、なぜか、泣きながらこの歌を、歌い、

録音して、南相馬に送りました。

 

 

2012年の5月。

こどもの日に、高橋くんに呼んでもらい、

私はまた南相馬に一人で行き、

 

鹿島の万葉センターの壊れたピアノを弾きながら

この「みんなのうた」を歌いました。

その時、ピアノを弾く私の後ろには、たくさんの子供達と

たくさんの大人たちが一緒にこの「みんなのうた」を歌ってくれていました。

 

 

1曲が、生まれた瞬間。

 

 

南相馬に「みんなのうた」が誕生した瞬間でした。

 

 

涙が溢れ、歌えないほど。

 

なんなんだ、この瞬間は。

 

 

どこの誰が作ったかもわからない歌を、

知らない間にみんなで覚えて、

みんな、大きな声で歌っている。

 

 

「これは、俺らの歌なんだよな

 ありがとう、南相馬の、歌だよ。」

 

 

 

と、高橋くんは言いました。

 

すごく、嬉しかった。

すごく、感動した。

今までの全てが、この1曲のためにあったのではないかと思えるほどでした。

 

 

そうです。南相馬が、私の体の中を突き抜けて、生まれた歌でした。

今まで作ってきたヒットソングのやり方や、

自分のために作ったシンガーソングライターの歌ではなく

何かとても大きな力で歌う歌を、こうやってみんなで歌った瞬間でした。

 

 

 

瓦礫も運べず、

汚染された野球場を見てただ立ち尽くし、

広大な津波跡を見て言葉にならず、

自虐ネタで自分たちの辛さを笑い飛ばすみんなに接して、

 

言葉にならなかったものが、形になった瞬間。

 

この街には、とても大きな愛と、強い勇気と、果てしない夢が眠っている、

と感じた瞬間でした。

 

その愛を夢を勇気を、どうにかして、世界中に発信したい。

この頃から、私の中で、ふつふつと湧き上がり、

自分の人生が大きく動き始めた頃でした。

 

 

毎月、毎月、「みんなのうた」1曲を

子供達と歌うために、南相馬に通う日々が始まったのです。

 

 

「先生、また今度、いつきてくれる?」

レッスン後に、こう言ってくれる数人の子たちの声が、

私の背中を押してくれました。

 

最初、3、4人くらいだっと思います。

 

子供だけではなく、そこには、大人の人もいました。

 

 

まだ、歌うことにも、踊ることにも恥ずかしくて、

自分から積極的にはなれなくても

何か、心を発散させる術を探しているかのような

そんな人たちと、毎月、少しづつ、レッスンを始めました。。。。

 

こうやって、1曲、1曲と、南相馬とリンクしながら

私の中で生まれていったともプロソングたち。

今や、20曲を超えました。

 

たくさんの「トモプロソング」

こちらに、ずらっとございます。

 

 

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