古典のその先へ。いまの時代に生きる新作能をヨーロッパで巡演
古典のその先へ。いまの時代に生きる新作能をヨーロッパで巡演

支援総額

2,443,000

目標金額 2,000,000円

支援者
107人
募集終了日
2019年11月4日

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2019年11月02日 09:00

ツアーの笛方・松田弘之さんに寄稿いただきました。

皆さま、ご支援と応援の言葉を引き続きいただきまして、ありがとうございます。最終日までいよいよわずかとなって参りましたが、最後まで頑張って参りたいと思いますので、応援のほど、宜しくお願いいたします。

 

さて、本日は、地頭・西村高夫さんに続き、笛方の松田弘之さんに寄稿いただきましたので、ご紹介させていただきます。「ヤコブの井戸」についての考察、作品の将来性、また囃子方の視点からの解説など、お寄せいただきました。じっくりお楽しみください。

 

==========

 

新作能「ヤコブの井戸」に寄せて

 

 本年9月21日、ウィーンのオデオン座劇場で初演されたDiethard Leopold氏の新作能「ヤコブの井戸」は、その内容の持つ今日性と普遍性により、再演を重ねることによって完成度を高めて行ける能だと考える。

 また、再演の機会はその内容性に於いて、日本のみならず世界の諸国で行われることが相応しいと思う。

 「ヤコブの井戸」の地は今も史跡として残り、一千年以上の昔この井戸でイエスとサマリアの女が出会い、命の水を飲み交わすことで魂の交感がなされたことが、この能の重要なテーマとなっている。

 全体は夢幻能の手法を用い、前場・間語り・後場の構成となる。舞台正先に水の象徴である井戸の作物と、平和の象徴であるオリーブの枝が井戸に付けられて置かれる。

 前場は現代で、強国イスラエルとの軋轢に苦しむパレスチナに住む女と、イスラエルから来た寛容な心を持つユダヤ人の老人と、ロシアから来たユダヤ移民の差別意識を持つ若者との間で展開する。また、猫役の間狂言による諧謔的な語りの中で、イエスとサマリアの女の出会いの時のことが語られる。

 パレスチナの女は不幸な境遇にあり、枯れ果てたヤコブの井戸に水桶を持ち、ただ行き帰るだけの不毛な日々を送っている。

 その事を不信に思う老人の問い掛けにより女の境遇が明らかになって行く。

 女の息子は希望の持てない将来に不安と怒りを抱え日々を送り、戦場に行きすぐに殺されてしまう。女を気遣う心優しい娘も、バスに乗り合わせた爆弾を体に巻いた男の自爆の巻き添えで死んでしまう。一人残された女の瞳には絶望しかなく、心は何も感じることが出来なくなり、枯れ果てた井戸に桶を持ち通い続ける。しかし、老人の問いに「友あらば水を汲みてまし」と謎めいた答をし、さらに井戸の由来を尋ねられて、遥か昔にイエスとサマリアの女がこの井戸で出会い、命の水を飲み交わすことにより、民族と宗教、境遇の違う二人の間に魂の交感がなされたことを語る。そして、その後イエスが磔刑により殺されたことを語る内に現実に戻り、女は巻き起こる砂嵐の内に消え失せ、桶が残される。

 夢幻能と同じくパレスチナの女の内にサマリアの女が見え隠れして、後場の暗示がなされる。

 シテの中入後、この地で何千年も生きる猫の語りによってヤコブの井戸でイエスとサマリアの女の間に起きたことが、見たこととして語られる。同じく人間の愚かさ滑稽さも諧謔的に語られる。

 後場はシテが若く美しいサマリアの女の姿となって現われ、老人と若者と命の水を巡る言葉を交わし、やがて心が交い合う内に枯れた井戸から水が湧き出す。その水はサマリアの女と老人、若者の瞳に満ち溢れ、女は中之舞という舞を舞う。舞の終り近く、笛が水を意味する盤渉調という高い調子となり舞を終える。終結部のキリでは、遥かな時間を越えてサマリアの女が、旅人の老人と若者との間で再び魂の交感がなされ、ヤコブの井戸と三人の魂に命の水が満ち溢れ永遠に渇くことがないことを謡い上げて能を終える。

 

 能の冒頭でロシアから来たユダヤ移民の若者が「人類の歴史は絶え間ない諍いと戦いの連続だ」と言う。正にそのとおりで、世界の多くの地域で現在諍いが起き、戦闘が行なわれている。この能の物語の場所は、数千年前から歴史が複雑に絡み合うパレスチナのヤコブの井戸である。また、強国イスラエルとその軋轢を受け続けるパレスチナの構図が設定されている。

 強い力を持つ民族と国家、一方力なき民族と国家。強者と弱者、相容れぬ宗教の相剋、性差による差別。これ等の事柄による紛争は現在世界の各地で絶えることなく続いている。しかし、ヤコブの井戸でイエスとサマリアの女が出合い、二人の間に民族・国家、宗教を越えた魂の交感がなされたことが、この能の核心となっている。後場では現代の寛容な心を持つユダヤ人の老人と、古のサマリアの女との間に命の水の魂の交感がなされる。

 民族・宗教、国家を越えて人々の間に寛容な心と魂の交流・交感がなされなくなれば、絶望の瞳の人々が増え続け、体に爆弾を巻いた者達がバスや列車に乗り続けるだろう。

 この能が世界各地で再演され、受け入れられることを期待する。

 

  囃子方(笛)からの付記

 

 新作能「ヤコブの井戸」で笛・小鼓・大鼓の囃子方は、他の新作能の場合と同様に節の付けられた詞章に、各々の担当の手を付け、シテ・ワキの登場の囃子を決め、いくつかの舞をシテの清水寛二氏と話合い決めて行った。

 ただし今回初演のヤコブの井戸には二つの独自な囃子事の設定があった、中入少し前の「砂嵐のアシライ」と中之舞の前の「水の湧く兆しの囃子」である。

 この二つは当然既存のものにはなく、この能のために清水氏と囃子方の三人とで意見を出し合い創作した。二つとも演奏による音楽の表現であり、説明的・描写的なものではなく、心象的な表現となった。

 「砂嵐のアシライ」では、大小の鼓の手は応用の出来る手組を使い、笛は即興演奏をした。「水の湧く兆しの囃子」では、大小鼓・笛共にシテの動きを見計らいながらの即興的な演奏を行なった。今回の公演でヤコブの井戸は数度上演され、またその為の稽古はそれ以上の回数行われたが、ある程度まとまって来た中でも、勿論本公演でもその時に生まれる動きであり演奏となった。これからも上演される度毎に、その時その場で、またその時の演者により生み出されるものとなるだろう、それがこの能の面白さの一つになると思う。

 

以上

 

松田弘之

 

 

ワルシャワ・ワジェンキ美術館内水上宮殿にて

笛についてレクチャーをされる松田さん(左)

 

 

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