こんにちは。

 

プロジェクトメンバーのそちゃんです。

 

プロジェクトの達成がなんと!75%になりました。

ありがとうございます。

 

さて、2011年3月11日から7年ですね。

3月11日という日は、皆さんそれぞれに、様々な思いをお持ちだと思います。

今、皆さんは、誰と一緒に、何を思っていますか?

 

 

あの時、不妊治療をしていた人たちは、どうしていただろうか。子どもたちは、妊婦さんたちは、出産後間もない人たちは・・・と考えると、本当に切なくなります。

 

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私は、福島県郡山市の出身です。

あの日も、そして今も、両親と姉家族は福島で暮らしています。

私は、この日に毎年思い出すことがあります。

 

震災の3ヶ月前、2010年12月31日、毎年恒例の親族忘年会@福島の岳温泉にいました。

その時、私は・・・人生で初めての『妊娠陽性反応』が出た・・・でも、おそらく今回は妊娠継続は難しい・・・と言われていた時期。

「手術は必要ではないから、自然に待ってあげて」と、クリニックの先生からも言われていました。

その温泉旅館で、その時はやってきました。

「ちょっとだけだったけど、きみたちも(受精卵2つ着床していたので)親族として一緒に忘年会ができたね。よかったね」・・・9週での稽留流産でした。

 

そして、3月11日、大震災が発生しました。

 

両親も姉家族も無事でしたが、両親の様子を心配していた姉が私に言いました。

「原発の状況も心配なところ申し訳ないけれど、家に様子を見に行ってもらえない? 自分も自宅の片付けや子ども達の対応で、どうにも行くことができないの」と。

 

震災発生から1週間たった土曜日。奇跡的に郡山までの往復高速バスの予約が取れました。夫と2人で郡山の実家に食料を持って向かいました。
 

↑この写真は、3月21日の早朝の郡山駅です。

↑この写真は、2011年3月21日の早朝の郡山駅です。

時計は地震が発生した時刻で止まっていて、駅のガラスも割れていました。

 

小雨の降る中、自宅の庭で壊れたものの片付けなどをしながら、ふと思ったんです。

「あの時、妊娠が継続していたら、ここには来られなかった。これは偶然じゃなく、きっとこういうことだったんだな」と。

 

そんな会話をした1年後の2012年4月、私は顕微受精により妊娠したことがわかり、同年12月に男の子を1人出産しました。

 

その後両親は、半壊だった実家を土台から耐震工事を施し、内装工事もして、私の初めての子どもを迎えてくれました。子どもが歩き出す頃には、除染もしてもらい、少しでも安心して実家で過ごせる時間を作ってくれました。

 

3月11日という日は、7年経った今でも、どうにも消化しきれない思いをお持ちの人たちが多いと思います。

 

あの時の思い、今の思い、自分にとって何が大切なものなのかを、再認識する日でもあるのかもしれませんね。

 

今日は私の住んでいる町で、復興のためのマルシェが開催されていました。

宮城県石巻市の「新物わかめ」を購入しました。

美味しくいただきます!

 

 

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