プロジェクト概要

プロジェクトの終了が報告されました

**達成のお礼。そしてネクストゴールについて。

 

みなさまのおかげで、開始から1週間ほどで、目標の50万円を達成することができました。さらに、第二目標として設定した100万円まで達成することができました(1/16追記)。本当に、ありがとうございます。いただく応援コメントの全部が励みになります。

 

まだまだ期間も残っていること、そして正直なところ、シェルター改修・運営のためにはまだまだ充分ではないということもあり、さらなるネクストゴールを設定させていただきました。

 

引き続きいただいたご支援は、シェルターのため、今も苦しい思いをしている外国人労働者の人々のため、大切に使わせていただきます。

 

どうかあたたかいご支援を、これからもよろしくお願いします。

 

 

国籍、名前、言葉や文化の違い。外国人というコンプレックス、劣等感。それが、「異国で生きるということ」だった。

 

はじめまして、岡部文吾(おかべ ぶんご)です。日本名で暮らしていますが、もとはベトナムの出身で、8歳のときに難民として日本にやってきました。

 

いま福島県で、県内に暮らすベトナム人実習生・留学生の労働環境の支援を行う団体(福島外国人実習生・留学生支援ネットワーク)を立ち上げ、活動しています。

 

今回私は、福島に、外国人労働者を支援・保護するためのシェルターハウスを作りたいと考えています。物件として、友人家族から、震災以降使わなくなった民家を譲り受けることができたのですが、数年間放置されていたため、中は大々的な修復・リノベーションが必要です。

 

別で募っている寄付や助成金だけではまかなえない額であるため、少しでもご支援いただければとプロジェクトを立ち上げました。

 

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そもそも、私の生い立ち:
亡命、難民、14歳で知った母と妹の死。ベトナムの貧困。

 

まず、このプロジェクトの具体的な内容についてお伝えする前に、私たち日本に住む外国人がどんな思いで、何を考え、どう生きているのかをお話しさせて下さい。


私はベトナムで生まれ、5歳のとき(1987年)両親とベトナムから亡命。3年間をマレーシア難民キャンプで過ごし、8歳で来日しました。東京都品川区の難民救援センターで1年間保護され、9歳で小学校へ転入。1年しか日本語を勉強する機会がなく、小学校へ入っても文字が読めず、言葉も聞けず、話すこともできません。同級生が何を話して、自分をどう思っているのか、すごく不安でした。授業についていけず、どの教科の時間でも、こっそり国語を自習していました。


名前が違う。生まれた国が違う。それだけで差別を受けました。学校の先生も生徒と一緒に嫌がらせをしました。信じられる人は誰1人もいません。


家庭でも自分の居場所はありませんでした。7歳年下の弟が生まれ、両親の愛情は全て奪われました。貧しい暮らしでした。家族で出かけた記憶もありません。その理由も大人になってから気付きました。両親の稼ぎは家族4人の生活だけではなく、ベトナムにいる両親の家族、祖父母、兄弟、親戚の生活まで見ていたからなんですね。それだけ80年代〜90年代前半当時のベトナムは貧困に苦しんでいました。

 

1歳のとき、産みの母の弟に抱かれて


14歳のとき、両親の貯蓄が実り、ベトナムに帰国することができました。このとき初めて、母親だと思っていた女性が実は本当の母親ではなかった(実母の妹だった)と知りました。私を産んでくれた母と、当時まだ2ヵ月だった妹は、亡命時に命を落としていたというのです。その時感じたのは、悲しみよりも安堵感。うまく言えませんが、当時は何度も命を絶つ思いでしたが、母と妹の存在を知った日から、自分1人の命ではないと思え、生きる意味を見出せた気がしたからです。


同時に、ベトナムの現状をはじめて目のあたりにして驚愕しました。裸足で道路を歩く子どもたち。道端で物乞いをする人々。立ち寄ったレストランで私の残した残飯を見て、そばにいた子どもがこう言いました。


「残すなら食べてもいい?」

 

言葉に表現できない悲しみと涙が止まりませんでした。

 

産みの母を抱く祖父母

 

それからの私は自分のできることを考え、いつか自分を生んでくれたベトナムに恩返しをしたいと考え、生きてきました。

 

奇遇にも、日本人の女性と結婚したことを機に、34歳のとき(2016年)、彼女の故郷である福島県に移住。いまは、通訳や人材派遣業で業務委託を受けて仕事の斡旋をしたり、ベトナム人と日本を繋ぐ仕事をしています。

 

児童養護施設に物資を届けたとき

 

 

ボランティアではじめた日本語教室。実習生・留学生の苦悩。相談。失踪。

 

私自身、ベトナム人であることにコンプレックスを感じていたこともあったのですが、日本に戻ってきてからは、それをアイデンティティとして受け入れるようになりました。

 

そして、福島県内に住む実習生や留学生のために何かしたいと考え、毎週日曜日にボランティアで日本語教室をはじめました。言葉が理解できれば、彼らにも日本人の友人ができるかも知れない。職場でもコミニュケーションが取れ、差別や偏見が減るかも知れない。私自身の経験から、そう信じたからです。


生徒たちも徐々に私を信頼し、心の悩みを打ち明けてくれました。

 

ボランティアの日本語教室の様子

 

例えば。

 

福島県郡山市内の建築業、内装工事の28歳男性。

 

父親は彼が15歳のときに他界しました。ベトナムには母親と4人の弟妹が暮らしています。

 

そんな彼は、週6日勤務。現場によっては朝5時から出勤して、帰りは22時のときもあります。給料は毎月決まって手取りで8万円。

 

でも2年前に来日した際、ベトナムの仲介会社(日本への就職を斡旋する会社)に、彼は手数料180万円を支払っていました。考えてみてください。8万円から生活費として3万円。残りは5万円は手数料の借金返済。完済するのに36ヵ月。3年間です。

 

彼ら実習生は基本3年間しか日本で働けません(2017年11月から最長で5年間に変更されましたが、延長できるのはごく一部の実習生だけ)。家族を助けるために来日したのに、結局、仲介手数料を支払うだけで終わってしまう。

 

彼は涙を流しながら話してくれました。私は話を聞くだけで何もしてあげられませんでした。結局彼は就労先から逃亡し、現在は不法就労者として借金返済と家族のために働いています。

 

岐阜の中国国籍の実習生。勤務中に指を切断したが会社が労災を認めず解雇、帰国を告げられた

 

香川県で働くベトナム人女性。

 

彼女は100万円の仲介料を払い、今年の3月に来日しました。週5日勤務。朝8時から17時まで。残業があっても、残業代は支払ってもらえません。

 

月の給料は合計65,296円。そこから雇用保険料、寮費、光熱費などを差し引いて、手取りは34,016円。時給にすると約300円ということになります(*下記、追記)。確かに、ベトナムならこれで十分生活できるでしょう。ですが、ここは日本です。最低賃金すら払ってもらえません。これでは何十年働いても100万円の借金は返せません。


別のベトナム人女性で、愛媛県勤務。朝8時半から深夜3時まで週6日働いて、手取りが8万円という相談もあります。

 

……ボランティアの日本語教室で、こんな悲惨な事例を、いくつも見てきました。

 

*2018/1/16追記

下の明細を見ると、給与は65,296円。当時の香川県の最低賃金で、8時間×​11日分の給与がきっかり払われていることになります。しかし、実際彼女は、実際彼女は1日8時間週5日でフルで働いていた、と私に証言をしています。それが仮に真実だとすれば11日分の給与しか払われないのは不当です。契約違反です。しかし、これを当該会社や行政に訴えては、彼女が日本にいられなくなるかもしれません。

今回作るシェルターでは、このように涙を飲んでいる人たちを守りながら、彼らが正当に訴えられる機会も手助けしていくつもりです。

 

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香川県のベトナム人実習生の給与明細

 

 

不当な低賃金での労働。未払いの残業代。暴力。理不尽な解雇。そんな地獄から、彼らを守ってくれる人は、いません。

 

運悪く悪徳な会社に入った場合、3年間の雇用期間をひたすら我慢する。もしくは逃亡し、不法就労だと知りながら働いて、借金を返しながら家族のために送金する。会社に訴えようにも、解雇や強制帰国の恐れがあります。勇気を出して労働組合などに相談することもできますが、争議の間、仕事はできません。住むところも追い出されます。給料がなければご飯を食べることもできません。

 

私の知る限り、日本ではおそらく岐阜の労働組合が2015年から運営しているNPO法人「労働相談.com」だけが、唯一シェルターを保持していますが、受け入れられる人数は圧倒的に不足しています。

 

愛媛県のベトナム人実習生の住んでいた寮。お風呂の様子。お湯も出ず、冬場は凍りついて水も出ない。

 

 

だから、NPOを立ち上げ、不当な扱いに苦しむ彼らのシェルターを運営します。

 

そこで私自身、来日してからは、彼らの悩み相談を受けるたび、個人的に在留資格の申請を手伝ったり、病院に付き添ったり、労働条件の団体交渉に付いて行ったり、できる限りのサポートを続けてきました。職場での性的虐待で妊娠させられた女性の中絶手術の立ち会い・費用の立替をしたこともあります。

 

しかし、正直なところ、彼らをゼロからサポートするには、相当なお金がかかります。一個人としてやりきれることではないなと感じ、このたび同じ志の友人たちとNPO団体を立ち上げました。今後は、組織的に支援ができないか道を探っています。

 

いらなくなったおもちゃや子供服を持ってきてもらいそこに入れてもらう義援BOX

 

そこでまず取り掛かりたいのが、不当な待遇に苦しむ彼らが共同生活できるシェアハウス(シェルター)の運営です。

 

ここを拠点に、

 

●実習生の保護、衣食住の支援

●入国管理局への相談・報告の手伝い、在留資格変更等の代理申請

●各支援団体との連携

●帰国後の就労支援

●日本語教育支援

 

などを展開していきたいと考えています。

 

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シェルター外観


幸い、東日本大震災の後使われなくなった物件(10人以上が共同生活できる広さ)を提供していただけることになりましたが、数年間使われていない家なので、トイレ、お風呂、キッチン水廻りを修繕する必要があります。

 

そこでこのたび、クラウドファンディングに挑戦することにしました。

 

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東日本大震災によって損壊した、修繕が必要なお風呂場

 

 

海外からの労働者だって、あなたと同じ、「人」なのです。

 

そんなふうに必死な思いで生きている人が、日本にはたくさんいます。

 

福島県の外国人実習生は、およそ3000人ぐらい。多いのは実は愛知県で、2万人超え。岐阜、広島、茨城、千葉、埼玉は1万人超え。東京は、6000人近くです。

 

長くなりましたが、今後も活動を続けていくことで、日本の人も、僕たちのような海外からの労働者を「外国人」として見るのではなく、「人」として見るようになってほしい。切実に願っています。

 

どうかあたたかいご支援を、よろしくお願いいたします。

 

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実習生の誕生日をみんなでお祝い

 


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