2008年に103名の被爆者と地球一周をした時に、ユースアンバサダーとしておりづるプロジェクトを補佐するために乗っていたのが中島泰子さんでした。とても穏やかで優しい中島さんですが、話していくうちに揺らがない意志を貫ける人なんだなと思わせる、そんな強いものもっている素敵なお姉さんでした(数年先輩なだけですが当時はすごくお姉さんに見えました!)。下船後、国内の企業で働いていましたが、気が付けば働きながらアメリカの大学院への留学準備を着々とすすめ、大学院で開発関係の勉強をし、またまた気が付けば国際協力の分野ではばたいていました。そんな中でもことあるごとにおりづるプロジェクトを応援してくれてきたのも中島さんで、昨年ニューヨークを被爆者が訪れた際にはニューヨーク在住の日本人向けの勉強会を開催できるよう尽力してくれました。そんな中島さんの文章を読むと、平和や貧困の解消などの壮大な目標を追いかける時には、「面と向かって聞いた当事者の言葉」がくじけないためのとても大きな力になることがよくわかります。

 

本プロジェクトはおかげさまで最初に目標として掲げた100万円を達成しました。多くのみなさんに励まされ、次は150万というゴールをめざしています。全国一カ所でも多くの場所で証言会を開催できるよう、どうかご協力ください。

 

(畠山澄子)

 

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私は今、国際開発分野、具体的には途上国での経済発展や能力強化に関する分野でキャリアを構築している途上にいます。直近ではカメルーンでの経済開発支援に携わり、年末年始は日本に帰ってきてほっと一息ついて、この後はウガンダに行き国際開発NGOで働きます。


開発の仕事とは、いろいろと難しく悩ましいことの連続です。途上国には、学校に行きたくても行けない子がいたり、貧困の為に子どもがゴミ山でゴミ拾いをさせられたり、避妊の知識がないために10代前半で妊娠する女の子がいたり・・・悲しみと憤りとうまく折り合いをつけながらの仕事です。さらに、開発援助の歴史はこんなに長いのに、いまだに世界には圧倒的な貧富の差があることや、援助のお金の流れに疑問を持ったりすることもあって、結果はどうしてもすぐには出なくて、自分のやっていることが本当に誰かの為になっているのか毎日のように自問しています。

 

カメルーンでは中小企業支援に携わり、たくさんの会社で現場の従業員さん達と会って話しました。

 
どんな仕事でも、自分がしたいことと現実のギャップや、注いだ熱量に対する効果の小ささ、これが本当に自分がやるべきことなのかなど、悩みは尽きないと思います。働き盛りの同年代の友人たちが、日々苦しみながら前に進んでいく姿を見ていて、そう思います。


その中で、核廃絶を仕事にしたり訴え続けるというのは、とりわけ骨の折れることだな、といつも感じます。とても強い意志、つまり軍縮・核廃絶は絶対に達成できるという確固たる信念と、多少の後退にもいちいちくじけない精神が必要だからです。また政治的な要素も強く、自分の活動と国際社会の流れや政府の考えがうまく合わないなど、心をくじかれる要素もたくさんあります。核兵器に限らず、軍縮や紛争解決の為に働く人々は、ある国家の政治的判断やテロ組織の活動等によってこれまで積み重ねてきた努力が一夜にして水の泡となるようなことが度々あり、無力感等から心身の健康を崩す人が多くいるとの話も聞きます。


そんな中、ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)のノーベル賞受賞とそれに先立つ国連の核兵器禁止条約の採択は本当に嬉しいことで、この分野での働きを続けてきた方々への深い敬意とともに、私も一市民として喜びました。でもそうした目立つニュースの陰に、日々の活動の積み重ね――つまり、ICANや国連での核兵器禁止条約を進めてきた職員・外交官に始まり、広島長崎の被爆者の方々、ピースボート、おりづるプロジェクトといった皆様が、継続して切り拓いてきた決して簡単ではない道のりがありました。


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言い遅れましたが、私も2008年の夏に出航したピースボート第63回地球一周の船旅に乗っていました。このクルーズは、「ヒバクシャ地球一周~証言の航海~」(通称:おりづるプロジェクト)と題し、103名の被爆者の皆さんが4カ月の航海の間世界の様々な場所で被爆体験を伝えるという活動を行った、つまりその後もずっと続いているおりづるプロジェクトの第一回目のクルーズでした。

 

オーストラリア・シドニーでの集合写真。


そこでユースアンバサダーとしておりづるプロジェクトの運営チームでお手伝いをしたのが私が被爆者の皆さんと出会った初めての経験です。皆さんご高齢である中、慣れない船上での生活と、ほとんどが初めて訪れる22都市の寄港地での活動。寄港地でのスケジュールはタイトで、早朝に船を出て、バスや車に揺られて交流会場に行き、長いセレモニーに出て、緊張し続けながら座って待ち続けて、その後渾身の力での証言を行う、ということがよくありました。国と国の間の航海中にも、船上で証言イベントを開催したりと忙しい毎日で大変なことが多々あったと思いますが、それでも証言を伝える為に精力的に活動される背景には、「絶対に同じ過ちを繰り返してはいけない」という、決して譲れない決意があることもわかりました。

 

当時のサーロ―節子さん。これは横浜での記者会見の様子。

 

各寄港地で、それぞれの国の人たちが証言に驚く様子も見てきました。正直、海外では「HIROSHIMA & NAGASAKI」という地名がよく認知されているのに比べて、実際どのような被害があったのかよく知らない人が多いこともわかりました。
 

ニュージーランドでではマオリのみなさんとの交流活動をしました。子孫のことを思って自然と共生することを学びました。

 

なんて、完全に自分を棚に上げて言いましたが、、私も船に乗るまで知らなかったのです。

 

当たり前だけれど、被爆した時の年齢によって、場所によって、その経験は人によって全く違うこと。

 

自分の命はなんとか助かった場合でも、一生夢に出てきてしまうような人々の死にゆく姿を目にしてしまったこと。

 

原爆の後遺症で、被爆した親から生まれる子供の健康被害が心配されて、結婚する時に相手の家族に反対されること。

 

それは胎内被爆でも同じことで、まだ生まれていなかったにも関わらず、生まれた後に差別に合う人もたくさんいたこと。

 

船内でのイベントで、被爆者の森本順子さんがライブアートのパフォーマンスをした時の様子。

 

こういったことを、実際に体験した本人から聞くまで知りませんでした。学校で教わったことを遥かに超える現実があるということを、被爆者の皆さんの迫力ある証言から初めて知ったのです。でも一度聞いたらそれ以降、ずっと心に刺さっています。私が開発学を勉強するために昨年まで留学していたアメリカでは、未だに「原爆投下は戦争の終結のために必要だった」と心から信じている人が少なくない数いるようです。実際、似たような内容を勉強している大学院の友人にも、そこまではっきりでないにせよ同様の考えなんだな、と思うような人がいました。そういう教育を繰り返し受けてきたのなら、無理もないのかもしれません。でもこうした時いつも、「被爆者の証言を聞いたら、『しょうがなかった』なんて絶対に言えないはず」と思うのです。

 

エリトリアでは、船内で被爆資料展を開催。地元のの若者たちが大勢きてくれました。

 

先ほど核廃絶に取り組むのは非常に大変なことであると言いましたが、一方でそれがすごく身近になる一番の方法が、「被爆者の証言を聞くこと」だと思います。想いを伝える、広める、経験を語る、という一人一人の活動のインパクトの大きさ。私はそれに大きく心を揺さぶられ、二度とそんなことを起こしてはいけないと強く思った一人ですし、世界の人が同様に心を動かされたのを目の当たりにした経験からそう思います。

 

ベネズエラでの証言活動 。

 

そしてそれを広く実行しようとしているのが、このクラウドファンディングであり、これはまたとない応援の機会だと思いました。原爆投下から70年以上経ち被爆者の皆さんはどんどん高齢になっている状況で、日に日に直接お話を聞ける機会は減っていく焦りもあるし、被爆者の証言会を各地で開催さる活動はとても有難いです。

 

私が被爆者の皆さんから聞いたお話は、今自分が持っている平和を実感すること、そして同時にその平和というのはいつ崩れるのかわからないこと、世界は危ういこと、後悔してからでは遅いこと等を、その後の人生で考える時の礎になっています。

 

ペルーでの証言会。会場を埋め尽くすほど人が集まってくれました。

 

開発の現場でも、テロや紛争のニュースを見ていても、私たちが住む世界には悲しいことが溢れています。私はこれからウガンダで難民キャンプの子どもたちのために働きますが、その中にはある日突然、自分が住んでいた村が武装グループに乗っ取られて親が殺されるのを目にしたり、難民キャンプに来る途中で性暴力の被害に遭った子どもたちも含まれています。こういう現状を知って、人と言うのは、自分以外の人の痛みにどこまでも鈍感になれるものなのだな、と絶望する日もあります。一方で、その現状を一緒になんとかしようとする仲間がいれば続けられるし、共に頑張ることがこの世界を良くしていくのだと思います。だからこそ、このプロジェクトが多くの人に届き、被爆者の皆さんの活動を応援して支え合える仲間が増えていくことを心から祈っています。

 

2018年が、被爆者の方々の渾身の証言がさらに一人でも多くの皆さんに届く年となりますように。

 

カメルーンに行く前に、ウガンダでフィールドワークした時に現地で人々から直接話を聞いている時の様子。

 

(中島泰子)

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