今週から来週にかけて、ICANの事務局長を務めるベアトリス・フィンさんが日本を訪れています。長崎での滞在を経て、今日(14日)から広島入りしています。その広島の、原爆ドームからほど近いところに「ハチドリ舎」というカフェがあります。まじめなことを気軽に話し合える場として大活躍しているそのカフェで働きながらシンガーソングライターをやっているのが今回寄稿してくれた瀬戸麻由さんです。私が瀬戸さんに初めて会ったのは、彼女が最初の地球一周から帰ってきた直後でした。渋谷のカフェで「おりづるプロジェクト」をどうやったら盛り上げられるのかを賑やかに話し合ったのをよく覚えています。軽やかに、はじけるようなオーラを発している女の子でした。それから自分なりにどんどんと「核のない世界」を追いかける道を切り開いていく瀬戸さんは、いつも悩んでいて、でも、いつも前に進もうとしていて、時々立ち止まりながらも、いつも考え抜いて出した自分の答えを形にしようと走っています。瀬戸さんがこの活動に関わり続けているのは「何か被爆者の力になりたかったから」、そして何よりも「楽しかったから」。瀬戸さんの文章を読むと、瀬戸さんの歌声を聞くと、瀬戸さんに会いたいなって思います。以下の文章とあわせて瀬戸さんの歌「Colorful World」も聞いてみてくださいね。この記事の最後に紹介しています!

 

(畠山澄子)

 

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想像してみてください。

一発の核兵器と、自分が向き合っているところを。

 

「私は、自分の生きる世界にこれが欲しいだろうか」

 

いつも、この問いが私のアクションの出発点になります。

 

被爆者と出会い、共に旅をする中で私の中に生まれた大切な問いです。

 

雲の上の別世界にあった「核兵器」の存在を、身近に引き寄せてくれたのが、ほかでもない被爆者のみなさんでした。

 

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私は広島県呉市で生まれ育ち、高校卒業までの18年間を地元で過ごしました。祖母は入市被爆(原爆投下10日後に入市し、救護活動や炊き出しを行い被曝)で被爆者手帳を持っていますが、当時の経験を話したがりません。学校の授業で被爆者に出会う機会もなく、私は大学1年生でピースボートに出会い、船の上で初めて、被爆証言を聞きました。

 

被爆者との出会いは、私に大きな二つの気づきをもたらしました。

 

原爆の恐ろしさを、私は知っているつもりでした。学校の図書室で読んだ「はだしのゲン」。毎年夏に体育館で見る戦争のアニメ映画。戦争や原爆って怖い。かわいそう。あっちゃダメなもの。絶対反対。やっぱり平和がいちばん。考え続けるのはしんどいし、悲しい。以上おわり。

 

でも、目の前で、私の目を見てとつとつと語るその人が、あの日あのキノコ雲の下にいたのだというシンプルな事実は、漫画や映画で見るのとは全く違う衝撃を私にもたらしました。すなわち、「私はなんにもわかってないし、この問題は全然終わってない」ということ。これが一つ目の大きな気づきです。


単純に話してくれた被爆者のおじいちゃん・おばあちゃんのことが大好きで、孫のように可愛がってもらえるのが嬉しくて、何か力になりたくて。地球1周を通して証言会の企画を手伝ったり、寄港地での証言会について行ってみたり、同世代の仲間を巻き込んで紙芝居作りのプロジェクトを企画したりして過ごしました。

 


「まじめだねえ」「楽しいの?」と言われたりもしましたが、楽しかったんです。何かを一緒に作って喜ぶおじいちゃんたちの顔を見るのが。核問題について語る中で、海外の同世代の若者とお互いの深い価値観に触れる会話をするのが。それまで興味がなさそうだった友人が被爆者の話に真剣に聴き入る姿を見ることができるのが。

 

核問題に被爆者と共に向き合うことが、自分に悲しみや苦しみではなく、時として喜びや楽しみをもたらすこと。これが二つ目の大きな気づきです。

 

それから2年後の2013年、私は「おりづるユース特使」としてピースボートに乗船しました。最初に乗った時は単純に「被爆者のみなさんのお手伝い」をするだけでしたが、今回はプロジェクトを一緒に創るメンバーとしての責任も発生します。


被爆者の証言には、その佇まいと存在だけで伝わる大切なものがあります。彼らの言葉には、戦後生まれの私の言葉にはないパワーがあります。そんな彼らと共に証言の場をつくる、私にできることは何だろうと葛藤しました。そしてその度に、被爆者との出会いが私にもたらした最初の衝撃に立ち返ります。

 

私にとって「被爆者と出会う」ことは、ただ話を聞くことではありませんでした。言葉の壁、文化の壁、世代の壁を超えて、同じ空間・同じ世界・同じ目線に彼らがいるのだと相手に伝わるように、できることをする。時に被爆者の証言の前に同世代の若者としてスピーチし、時に彼らの証言にあった画像や映像選びを相談して一緒にプレゼン資料をつくり、時に船内でワークショップを企画し。その「橋渡し」が私の役割だと思って、一周の活動を終えました。

 

 

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今世の中にある、誰かがやっているやり方に続くだけで「核のない世界」を作れるだろうか、他に可能性はないだろうか。そんな思いで、大学卒業後は東京のベンチャー企業に就職。2年間日々忙しく働いた後、2017年の夏、広島に帰郷しました。

 

帰郷後、音楽活動を始めました。シンガーソングライターとして、被爆者と地球一周した時の体験を歌にしたものを人前で歌うようになり、2017年夏にはその歌をiTunesで配信しています。

 

また音楽活動の傍ら、広島の平和公園近くのカフェ「ハチドリ舎」でイベント企画を担当しています。ハチドリ舎では、毎月「6」のつく日に被爆者とカフェを訪れた人が少人数でお話ができる時間を作っています。

 

 

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一発の核兵器と、私が向き合っているとして、「私は、自分の生きる世界にこれが欲しいだろうか」
 

「核兵器は、欲しくない。いらない」

 

問いの答えを自分の心に正直に決めてみる。そして答えを実現する方法を模索する。地道に、素朴に、コツコツと、でも確実に歩を進めて。被爆者が手渡してくれたバトンを未来につなぐということは、きっと一言一句をそのまま伝え続けることではなく、そうやって自分の足で歩き続けることそのものだと、私は信じています。

 

ノーベル平和賞を授賞したICANの取り組みも、核兵器禁止条約が採択される道筋をつくり上げた多くの人々のアクションも、そうして自分の「答え」を実現するための真摯な一歩の積み重ね。


今、より多くの人と、より多様な方法で、それぞれの一歩を進めたいのです。

 

「ひとりの人間として、あなたはどうしたい?」

 

一見敷居が高くて複雑な核問題を、シンプルで身近な問いに引き戻してくれるのが被爆証言です。モノクロの記録を生きた記憶として呼び起こす彼らの言葉に耳を傾ける機会を、直接声を聞くことのできる最後の世代の私たちが、広げていきたいと思います。

 

(瀬戸麻由)

 

★★★せとまゆの歌「Colorful World」です!★★★

 

「Colorful World」
作詞・作曲・歌:せとまゆ

 

僕の歌声が届いたら
君の涙は笑顔に変わりますか
君の歌声が響いたら
僕の世界は色づき始める

たった一瞬の目も眩む光で
すべてを失ったあの日の記憶
モノクロの写真の向こう側で
見つめ返す瞳に映る景色は

Colorful World 忘れないで
いつでもそこにあった空の青さを
この祈りは 何色ですか
答えを託して捧げる 七色のおりづる
大きな地球にぽつんと浮かぶ

*

僕らの歌う声は波間にかき消えるようで
でもほら耳すませて聞こえるメロディ
海の向こうから重なり広がるハーモニー

大好きな景色を一瞬で奪うもの
悲しみの源は今もそこにある
真っ白な未来に向かう背中に
黒くうごめく影に気づけたなら

Colorful World つなげていこう
君の僕のあの子の目に映る景色を
見える明日は何色ですか
七色に染まった未来にはばたくおりづる

*

君の歌声を聞いたあの子が
描く未来に笑顔があふれるように・・・

 

 

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