すべての、『語ってきたひとたち』へ

残り1時間になりました。あと10万9000円です。最後にみなさんに「当事者」とは何かを考えてほしいと思ってアップするのは恩田夏絵さんの記事です。恩田さんが言う通り、どのような“証言”にも、当事者にはやらない選択肢があります。それでも語る理由を、同じ社会を分かち合う一員として私たちは受け止める責任があるのではないだろうか、というようなことを私は今考えています。決して簡単なことばかりではないけれど。

 

最後の一押し、どうかご協力ください。

 

(畠山澄子)

 

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『当事者が語ること』には、大きなパワーがあると思っています。


“個人史”が持つリアリティは、「わたくしごと」として聞き手や読み手の想像力を誘発し、文字や視覚情報だけでは伝わりきらない「個人の物語」によって、国や時代や文化や背景の違う人たちにも働きかけることが可能になると思うからです。

 

私も、元不登校児として、ひきこもり経験者として、同性パートナーと日本で結婚式を挙げた人間として、“当事者”の立場から話をすることがあります。

 

まだまだ認知や理解が追いついていないことを一生懸命話したあとに、反応が返ってくることはうれしく、それは次の一歩につながる原動力になります。

 

「新郎のいない結婚パーティー」。筆者は左。

 

お子さんとコミュニケーションがとれなくなってしまった親御さんが、『わが子のきもちを、少し理解できた気がします』と、声をかけてくれたりします。

 

この数年、“LGBT”や“セクシュアル・マイノリティ”という言葉をよく目にするようになりました。私が同性パートナーと結婚したという話をすると、『自分の身近にもそういう人いる』と声かけてくれる人がいます。多様な性を生きている人がどこにでもいるという認知が広がってるなぁと感じつつ、現実はまだまだだな、と思うこともあります。


つい先日も、大学で50人ほどの学生に向けて話をしたら、多くの生徒から『はじめて同性愛者の人に会いました』と、感想をもらいました。テレビやネットでその存在は知っていても、「わたしの身近なこと」として感じている人はそんなに多くないのかもしれない。同性を好きになる人や他のセクシュアル・マイノリティ当事者も特別な存在ではなく、もうすでにこの社会のなかで存在している、ということを、まだまだ表現しなければ、根強い偏見や差別はなくならないのだろうと思います。

 

 

不登校のことも、ひきこもりのことも、多様な性を生きる人がいることも、表現しなければ、伝わりようがない、と思います。

 

でも、いつまで続けたら、もう「当事者」として口を開くことをしなくてよい日がくるだろうか・・と考えることも、実はけっこうあります。

 

「当事者」として話をすると、予期せぬ反応が返ってくることもあります。

 

『そんなの甘えだ』
『正直、気持ち悪い』

 

色んな意見や反応がある。それは当たり前のこと。そうわかってはいるけど、個人の感情としては何度向けられてもビックリしたり、慣れない言葉はあります。

 

この途方もない「当事者体験談」を語る作業に、限界を感じることもたまにあります。

 

たいした力もない一般人の自分が、少しの行動を起こしたところで何になるんだろう?と、疲れ切って立ち止まってしまいそうになる。

 

 

そんなときに、励まされるのは、被爆者の方をはじめとした『語ってきた人たち』の存在でした。

 

ICANのノーベル平和賞受賞は、私個人にとっても大きな出来事でした。

 

受賞の知らせを聞いて思いを馳せたのは、「核兵器をなくそう」とここまで歩み続けてきた人たちのことでした。

 

“証言”には、やらない選択肢があります。

 

被爆者として「語ること」を望んだ人は誰もいないと思う。けれど、「繰り返してはならない」という思いで語り続けたこと。それによって、後ろ指を指されたことや、あきらめそうになったこともあったと思います。体力がどんどんなくなっていく、不安やもどかしさも。


近い立場の人に「そんなことするから余計忘れられないんだ。ほっといてくれ」と、言われることもあったのではないかと思います。

 

受け止めて、ときに受け流して。始めることは勢いでできたとしても、それを"続けること"は簡単ではありません。

 

核兵器禁止条約が制定されましたが、条約に戦争被爆国の日本を含む核保有国は不参加で、核兵器のない世界はまだここにはありません。ほんとうに安心できる世界になるまで、まだ歩みは続きます。

 

 

被爆者たちの長い道のりと自分を比べることはできません。

 

それでも、「当事者」として言葉を発することがある私にとって、「この先に道はあるの?」と不安になるとき、今回のノーベル平和賞受賞という事実が被爆者の方々が「ここまで来れたんだよ」ということを示してくれるのだと思っています。

 

この出来事は、“社会になにかを伝えたいと思っている人たち”みんなにとって、なにより私にとっての強いエールです。

 

『語らないといけない』わけでは、決してありません。

 

むしろ『語らなくていい』世界になったほうがいい。

 

でも、人間は知らないことだらけで、だからこそ過ちを繰り返さないために語ることが『まだ』必要なんだと思います。

 

いつまで続けることができるかわからないけれど、私も『語る』ことを続けたい。


『語り続ける』被爆者たちと、ともに。

 

(恩田夏絵)

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