今あらためて、日本全国に被爆者の声を届けたい
今あらためて、日本全国に被爆者の声を届けたい

支援総額

2,007,000

目標金額 1,000,000円

支援者
187人
募集終了日
2018年1月31日

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2017年12月25日 13:46

被爆者から受け取った「未来の子どものために」を全国に

本日はクリスマス。私はキリスト教徒ではありませんが、毎年クリスマスになるとその年にお世話になった人や嬉しかった出来事などを思い出します。そして、今年も健やかに過ごせたこと、その当たり前のことを心からありがたいと思うのもこの時期です。

 

今日はなんと被爆者のみなさんと地球を3周(!)もした経験を持つ、元ピースボートスタッフの上泰歩さんの記事です。20代で被爆者とともに地球をまわりながら幾度となく聞いた「未来の子どものために」という言葉。2児の母となった今、その言葉はまた一段と重みを増したと言います。

 

ピースボートを離れたあとは飛騨高山で暮らす上さん。大都市や広島・長崎でない場所でも被爆証言を聞く機会をつくってほしいと今回のプロジェクトを応援してくれています。

 

実はこのクラウドファンディングのリターンには「被爆証言会を『あなたの街』で実施します!」というものもご用意しています。ぜひ、そちらもご検討いただけたら嬉しいです。

 

では上さんの記事をどうぞ。

 

(畠山澄子)

 

+++++++++

 

私が人生で被爆証言を聞いたのは、修学旅行の一度きり。原爆のことも、核兵器を取り巻く世界情勢も、ほぼ知らないといっていいほどに、知識はありませんでした。


そんな私が担当を任されたのが「おりづるプロジェクト」でした。2009年から4年にわたり、約30人の被爆者の方とともに地球を3周しました。

 

地球一周中の船の上での一枚。左が筆者。

 

一緒に乗船した被爆者のみなさんは60代から80代。被爆の「ひ」の字も知らなかった私にたくさんのことを教えてくださいました。毎日ミーティングやランチをしながら、時にはお酒を酌み交わしながら、核のこと、世界のこと、日本のこと、人生のこと…たくさんの話をしました。

 

そうやって同じ時間を過ごすことによって、「被爆者」と「スタッフの私」ではなく、「ひと」と「ひと」としてのつながりが生まれました。そのことで、彼らの被爆体験がどこか遠くの「物語」ではないということを実感するようになりました。

 

2012年の地球一周の夕食風景。右から2番目は横浜~タヒチまで乗船された在韓被爆者の郭貴勲さん。

 

彼らの悲惨な経験は、もちろん衝撃的でした。しかし、それ以上に私の心を動かしたのは、伝えようとする強い思いと、熱心に活動する姿でした。

 

今でも覚えているのは壷井進さん。当時83歳だった壷井さんは、乗船前に行われた面接やオリエンテーションのために、自宅のある神戸から東京まで夜行バスで往復していました。「お金は証言活動のために使いたいんだよ」と、日頃から節約をしており、その時も旅費をおさえるためにハードな夜行バスを選んでいたのです。

 

田邉俊三郎さんは、「証言には視覚で訴えることも有効だからね」と、自分でプロジェクターを購入し、若いスタッフから使い方を教わっていました。機械操作を熱心に教わる姿、使えたときの嬉しそうな表情を見ながら、私はこのおじいちゃんがプロジェクターを抱えて証言活動に行くのかと驚きました。

 

平井昭三さんは、「私が英語を話せたら、海外の人にも通訳を介さず直接証言ができると思うんです」と学び続け、見事に英語で証言をするまでになってしまいました。航海の途中に寄ったポーランドのアウシュビッツで、宿泊施設で偶然一緒になったドイツの学生たちにむけて急遽英語で証言をしたこともありました。証言会では活発な意見交換が行われ、学生たちはとても感銘を受けたようでした。別れ際に学生たちが平井さんに全員からのメッセージが入ったタオルをプレゼントし、平井さんと何度もハグをしていたのがとても印象的でした。

 

そのほかにも、病気を抱え手術を何度も繰り返しながらも証言活動を続ける被爆者や、胎内被爆や幼少期の被爆のため当時の記憶がなく証言することに苦悩しながらも、核兵器をなくしたいと奮闘する被爆者など、今でも忘れることのできない被爆者の姿があります。彼らの姿は私の人生に大きな影響を与えました。

 

2011年4月、フィリピンでにて。和平プロセス担当大統領顧問室(OPPAP)を訪問し、ルイシト・モンタルボ氏と面会しました。

 

彼らはどうしてそこまでして、熱心に活動できるのでしょう。72年前の体験は、決して忘れられない、語りたくもないであろう想像を絶するものです。語ることで何か見返りがあるわけでも、彼らにとって得なことがあるわけではありません。それなのに、彼らは語ることをやめません。当時20代だった私には信じがたいことでした。

 

「あんなことが二度と起こらないように」「未来の子どもたちのために」

 

何度となく、聞いた言葉です。彼らは、自分たちのためではなく、私たちのために被爆の体験を伝え続けてくれているのです。

 

事実、証言を聞いた人々が、「自分も何かしなければ」と立ち上がる姿を、何度も目にしてきました。特に若者たちは、被爆者とは違う形で、自分たちなりに被爆者の思いをつないでいこう、伝えようと熱心でした。歌に想いをのせる人、紙芝居をつくる人、劇にする人、SNSやブログで広めようとする人。そうした若者の姿に被爆者もまた力をもらい、さらにそのうねりは広がりをみせました。

 

地球一周の船旅を通して被爆者と出会った後、夏に広島や長崎を訪れる若者も多い。写真右は壷井進さん。


証言には人を動かす力があります。しかし、実は日本国内で証言を聞ける場は限られています。

 

私は子どもができたことを機にピースボートを退職し、5年前に飛騨高山に移住しました。これまで、特に8月にはどのようなイベントが行われるのか、イベント情報などを意識して見るようにしてきました。しかし、「被爆証言会」の文字を見たことはありません。私が見落としているだけかもしれません。でも少なくとも市の広報やフリーペーパーなどでそのような催しを見たことはありません。

 

「広島や長崎、または大都市でない限り、これほどまでに証言を聞く機会はないのか」と落胆しました。

 

そして年々大切な証言者がひとり、またひとりと少なくなってきている現実もあります。証言を聞ける時間はあまり残されていません。

 

だからこそ、私は被爆者の声が聞ける場を日本中で作りたい。被爆者の皆さんから何度も聞いた「未来の子どものために」

 

親になった今、今まで以上に、「核兵器のない世界」を切に願います。子どもたちには、あのヒロシマ・ナガサキのような経験は絶対にさせたくありません。それは自分でも不思議なくらい、自分の子どもに限らず世界中のすべての子どもに対しての心からの願いとなって自分の中にしっかりと根付いています。証言会はその実現の為に必要な大切な一歩なのです。

 

今では2児の母となりました。

 

あと何年、私たちは被爆者の生の声を聞けるでしょうか。彼らの声がたくさんの人々に届きますよう、ご協力をお願いしたいと思います。

 

(上泰歩)

リターン

1,000


被爆証言を全国に届けたい。この思いに共感してくださった方へ

被爆証言を全国に届けたい。この思いに共感してくださった方へ

・感謝の気持ちを込めて、サンクスメールを送らせていただきます。

申込数
13
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2018年3月

3,000


被爆証言を全国に届けたい。この思いに共感してくださった方へ

被爆証言を全国に届けたい。この思いに共感してくださった方へ

サンクスレターを送らせていただきます。

申込数
63
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2018年3月

1,000


被爆証言を全国に届けたい。この思いに共感してくださった方へ

被爆証言を全国に届けたい。この思いに共感してくださった方へ

・感謝の気持ちを込めて、サンクスメールを送らせていただきます。

申込数
13
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2018年3月

3,000


被爆証言を全国に届けたい。この思いに共感してくださった方へ

被爆証言を全国に届けたい。この思いに共感してくださった方へ

サンクスレターを送らせていただきます。

申込数
63
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制限なし
発送完了予定月
2018年3月
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