正倉院の歴史の三回目です。今日は東大寺の直接の前身となる大和国の国分寺が建立されるに至った時代背景について、お話したいと思います。

 

聖武天皇は、藤原四子の病死や藤原広嗣の乱などの政治的混乱と疫病の流行が続くなかで、まず天平十三年に平城京から遷都した恭仁京において「金光明最勝王経」の教理を具現化するために国分寺建立の詔を発しました。

 

これにより諸国に国分寺・国分尼寺が建設されることとなりました。大和国では他国の例とは異なり新設ではなく、前回お話しした既存の金鐘寺と福寿寺を中心にした寺々が、「福寿寺一切経写経所」から「金光明寺一切経写経所」へと改名された天平十四(七四二)年七月頃に統合され、大養徳国金光明寺と呼ばれる大和国の国分寺となったと推定されます。これが東大寺の直接の前身です。(次回に続く)

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