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本日は正倉院の歴史の四回目です。正倉院のある東大寺の代名詞である大仏が造影された背景についてお話したいと思います。

 

前回お話しました国分寺造営とは別に、東大寺の代名詞である大仏造営は、天平十七年に開始されます。しかし大仏は当初、紫香楽宮(現滋賀県甲賀市信楽町)において計画されていました。

 

その動機には、疫病や政変などの社会不安が存在しましたが、直接には天平十二年・二月に、光明皇后とともに聖武天皇が河内国大県郡(現大阪府柏原市)の知識寺へ参詣し、盧舎那仏を拝したことがきっかけでした。

 

その造仏が知識(造寺造仏などに対して資材・労力などを無償提供する宗教的ボランティア)によりなされたことに強く感化され、自身も知識による造仏を決心したことが背景にあります。(次回に続く)

 

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