正倉院文書とは?(第二回)ーどのように所蔵されていたのかー

 

歴博の仁藤です。本日は、正倉院文書の歴史の2回目です。

 

天皇による写経事業の画期は、天平七(七三五)年に帰国した僧玄昉が、唐で入手した最新の経典解説目録である『開元釈経録』と、これに依拠して集めた五千巻以上の将来経の存在が前提あります。

 

これらの経典をもとに光明皇后は翌年から父母の追善供養の名目で、一切経書写を命じました。この写経事業は、願文の日付にちなんで「五月一日経」と呼ばれます。

 

天平十四年に、この写経はほぼ完成しましたが、以後も対象を拡大して一切経の書写事業は、何回にもわたり奈良時代末まで継続しました。こうした写経事業にかかわる事務帳簿群が正倉院文書です(次回に続く)。

 

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