皆さん、こんにちは。多くの皆様のご支援にて、ネクストの700万円を達成することが、出来ました!本当にたくさんの応援、ご支援をいただき、心より感謝申し上げます。引き続き、正倉院文書について知っていただく機会として、ご紹介しております新着情報を更新していきたいと思います。

 

正倉院文書の歴史の3回目です。江戸時代後期、写経所文書の紙背にある印の捺された史料が注目され、天保四(一八三三)年から同四(一八三六)年まで宝庫修理のため正倉院が開封されたことが契機となり、南倉の文書櫃を整理して、元の戸籍・正税帳などの状態を復元すべく一部の文書が抜出されました。

 

これは国学者穂井田忠友によるもので四十五巻(正集)にまとめられました。その方針は写経所文書の紙背にあった印のある文書に注目して、戸籍・計帳・正税帳などの公文、私印の文書、良弁・道鏡など著名人の書状等を撰び集め、ほぼ役所の序列や地域別に集められたものでした。

 

明治時代以降は内務省、宮内省により整理が続けられ、続修50巻・続修後集43巻・続修別集50巻・続々修440巻2冊・塵芥39巻三冊の合計六百六十七巻五冊の形態になりました。これにより文書の研究は大きく進みましたが、一方で写経所文書は断片化されてしまい、整理であるとともに混乱ともなり、かつての形態とは異なってしまいました。このことが正倉院文書の取り扱いを困難にしている理由の一つです(次回に続く)。

 

 

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