みなさんこんにちは。歴博の仁藤です。

 

正倉院の歴史の五回目です。

 

知識寺への参詣から二年後の天平十五年に、紫香楽宮において「菩薩の大願を発して、盧舎那仏の金銅の像一躯(く)を造り奉る」として「盧舎那大仏造立の詔」が発せられました。

 

詔では、

国銅を尽くして象を鎔(とか)し、大山を削りて以て堂を構え、広く法界に及ぼして、朕が知識と為し、遂に同じく利益を蒙りて、共に菩提を致さしめん」

「人有りて一枝の草、一把の土を持って、象を助け造らんと情願するものあらば、ほしいいままにこれを聴せ」

 

と述べて、民衆に対して知識による協力を求めています。この点に東大寺の他の官立寺院とは異なる性格が見いだせます。(次回に続く)