正倉院文書の歴史の5回目です。

 

今回は、写経所の作業記録としての正倉院文書を解説します。写経所文書は、公文の裏、すなわち二次文書として利用されています。

 

その多くは、写経という経典を書写することに関係した事務帳簿でした。奈良時代の写経事業の中心は、聖武天皇や光明皇后の発願による一切経(すべての経典)の書写でした。たとえば、光明皇后が父母の供養のために写経を行った一切経(5月1日経)は20年間に約7000巻が書写されたとされます。

 

この写経は発願の日付が天平12(740)年5月1日なので「五月一日経」と呼ばれます。おそらく奈良時代全体の写経総数は十万巻を超えると推測されています(次回に続く)。

 

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