正倉院の歴史の二回目です。本日は東大寺の前身について、お話したいと思います。

 

東大寺の創建は、聖武天皇が夭折した皇太子基(もとい)王(名前が不明なので、某王と書いたとの説もある)の菩提を弔うため、天武天皇の孫智努(ちぬ)王が造山房司長官となって、建立した金鐘(こんしゅ)寺を前身とします。

 

この寺の場所については、近年では食堂跡の東、二月堂の北側山中にある丸山という山の西斜面が有力視されています。当地には、いくつかの平坦地があって、興福寺系の古代瓦片が出土します(丸山西遺跡)。

 

金鐘寺に対して、「上院」地区には福寿寺というもう一つの寺院が存在しました。光明皇后の家政機関である皇后宮職と関係が深い寺院で、天平十年以降に正倉院文書に見えるようになり、金鐘寺(金鐘山房)と並立していたことが確認されます。

 

これ以外にも、行基により造営されたと伝える「天地院」や「阿弥陀堂」「辛国堂」などが、大仏鋳造以前から存在しました。(次回に続く)

 

 

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