少し長文になってしまいますが、ご了承ください。

私は大阪に生まれ育ち、恐らく現在の小中学生とあまり違いのない境遇の中で、暮らしてきたと思います。

実際、自分が育ったところと同じ場所で息子を育てていく中で、自身の子供のころの環境とは違ったことは沢山感じましたが、例えば。。。

 

学校に通う、ということについて、考える機会があったのか

 →なかったと思います。

日本以外の国の、同じ年の子供たちが、どのように生活しているか知っていたか

 →教科書の中の世界だったと思います。

 

そのまま高校へ進学し、地元では進学校と言われる高校でしたが、この時点で、このまま勉強をなんとなく続けていくこと、なんとなく学校へ通っていくこと、に疑問を感じるようになりました。

そして、高校一年の時、「自分が一番楽しいと思えることが沢山出来る大学へ行きたい」と思い、大阪芸術大学の音楽学科への進学を希望して、猛レッスンの末、無事合格することができました。

 

大学では沢山の学びと沢山の出会いを経験することができ、大変充実した4年間を送ることができました。

 

しかし、受験から始まり学生の間もずっと、間違えてはいけない。うまくピアノを弾かなければいけない。という思いが、常に自分自身を追いかけて追いかけられている気がしていました。

 

卒業旅行に一人で3週間ほど、違う世界へ行ってみたい。と何気なく思ったことがきっかけとなり、バリ島のウブドへ行きました。

そこには、大学とは全く違った、芸術・芸能・文化、そして社会との結びつきがありました。

そんな環境に吸い込まれるように、日本の芸大を卒業後すぐにバリの芸大へ留学し、その後もソーシャル研究というビザでの滞在を続け、7年目に留学当初から家族のようにお付き合いをさせていただいていた、芸能楽団の同じ年の次男と結婚しました。

 

楽団は、海外との交流が盛んであったため、日本との交流を担わせていただくことになり、実地と共に学び、企画制作運営のお仕事を、気が付いたら10年近くしておりました。

 

ちょうどそのころ、息子が小学校高学年になり、日本での体験入学をきっかけに、日本の学校へ行きたい。という強い希望を持ったことを受け、彼が6年の2学期になるときに、私としては20年ぶりに、日本に拠点を置くことになりました。

 

上記の様な経験の後に戻った日本での子育ての中、疑問に思う点、なんとか少しでも帰ることができるのではないか。と思う点。が少しずつ私の頭の中を渦巻くようになりました。

 

私事で恐縮ですが、改めましての自己紹介と同時に、プロジェクトを行いたい。と思うようになった経過の、始めの部分を書かせていただきました。

 

次は、今回のプロジェクトの必要性を感じたきっかけについて、書いてみたいと思います。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

 

新着情報一覧へ