演劇「太平洋食堂」を新宮市で上演し若者に演劇と歴史体験を!

演劇「太平洋食堂」を新宮市で上演し若者に演劇と歴史体験を!

支援総額

2,522,000

目標金額 2,500,000円

支援者
117人
募集終了日
2015年2月2日

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2015年01月08日 22:10

誠之助と夏目漱石

誠之助と夏目漱石はとても良く似ています。

ほぼ同年の二人、何故か行った場所にも共通点があります。

夏目漱石は、熊本で数年間を過ごしました。その旧居の場所は、メメントCに毎回ご出演いただき、新宮町会議長を演じている、俳優の清田さんのご実家の近くです。昨年、芸術祭優秀賞をいただいた「ダム」の公演で熊本市を訪れた時にうかがいました。へえ~~~!ご近所だったんですね!

 

誠之助も熊本に嫁いだ親類の女性の家を訪ね、そこで熊本について書いています。二人の熊本に関する感想の共通点は、明治維新を経ても変わらぬ風土、近代を拒否?るような封建制度のようです。今でも、熊本城を見ると、控えおろう!と印籠をかざされたような気分になるのです。ここに近代が来たらおしまいだ、蒸気機関車が走るようになったら世も末だと書いています。「三四郎」ですね。

 

次には漱石はロンドンへ留学します。ロンドンへいって、すっかり引きこもって洋書を読みふけっていた漱石は、大英帝国がやったもっとも悲惨な帝国主義戦争のボーア戦争から凱旋した兵士の行進を見ます。そして、近代の恐ろしさ、帝国主義という名の怪物を見、祖国日本が近代化していく事への覚悟、その悲惨な将来を予言します。

 

一方、その頃に誠之助はインドに居ました。そしてやはり大英帝国の過酷な収奪にあえぐインドを見、インド洋を挟んで聞こえて来るボーア戦争の凄まじさに、筆をとっています。南アフリカのちょっと上あたりに、オランダから移り済んだ人々はボーア人と呼ばれトランスヴェール共和国を作りますが、豊かな金やダイアモンドなど地下資源を求めるイギリスに追い立てられ、次々と内陸へと移動し、共和国を作ります。お互いにアフリカを植民地とする為の侵攻ですが、各共和国を失いながら、ボーア人は一度は勝つのですが、1899年~1902年に起きた第二次ボーア戦争で、完全に敗北、その装丁(若者や壮年世代)の半数以上が死んだと言われます。ボーア人は12万以上が強制収容所に送られ2万人が死ぬなど、イギリスは国際的批判を浴びました。もちろん、大英帝国の被害も甚大です。そのように、国民を死に追いやってまでも、資源を奪うという帝国主義の恐ろしさを目の当たりにしたのでした。

二人が同時期にイギリスの植民地戦争を見た事は、帰国後、この新しい文明への懐疑と嫌悪を抱かせる大きな根拠となっています。

 

1902年までのボーア戦争で疲弊したイギリスは大国ロシアをけん制するにあたって、同年、日本と日英同盟を結びます。日本にとっても、中国大陸への南下を狙うロシアは脅威そのもでした。

そして、ついに1904年2月に日露戦争が始まります。

 

そしてその日露開戦の10月、誠之助は新宮に洋食レストランを開くのです。その名は「太平洋食堂」

太平洋に面したこの陸の孤島から、「太平なる海に平和の灯を浮かべ、万民が共に囲む食卓」

パシフィック(太平なる海)に向かって全世界に非戦を叫んだのです。こんなことをするセンスの持ち主は、日本人の中では今も昔も、大石誠之助だけではないでしょうか?

 

 

 余り有名でない夏目漱石の短編に「趣味の遺伝」という日露戦争の悲惨さを書いた小説があります。よくまあ、こんなに書いて発禁にならなかったと思うくらい、戦争の無意味さ、悲惨さ、大日本帝国の無責任さについて描写しています。そこに「満州の野を挟んで向かい合う日露両軍と殺しあう猟犬のような兵士」という戦場を俯瞰した記述がありますが、後日、当時、アメリカでベストセラーとなったアプトン・シンクレアの「ジャングル」を読み、あっと驚きました。そこにも、やはり満州の野を挟んで牙をむく両軍が獣として描かれています。漱石はアプトン・シンクレアを読んだのでしょうか?私は、7年前にその頃の漱石をモデルにした芝居「猫、あるいは夢の女・漱石と女浪曲師」を書きました。そしてその「趣味の遺伝」をモチーフに使ったのです。主演は五大路子さんでした。演出は福田善之さんです。

 

 当時、アメリカでも、極東の戦争は大きなニュースバリューがあったのでしょう。誰もが注目していた大事件だったのです。誠之助も、その財力とコネクションで、アメリカの雑誌を取り寄せていました。その雑誌はアプトンシンクレアが編集委員をしていたものでした。セント・ポーロ市に留学していた誠之助は、そこで人種の差を問題にしない、極めて誠実なアメリカ人に出会い、自由な国アメリカを愛したようです。昔、医業を修めた国では、医師になる時の誓いは「ヒポクラテスの誓い」といって、この仕事をする限り、男と女、自由人と奴隷、患者においてどんな差別もしない事を約束し、人間を患者として平等に扱う事を謳ったものです。

 

その後、カナダに移動したり、飽きっぽい性格らしくあちこちで開業、日本から出稼ぎ者の多い海沿いのシアトルで労働者の為の医療を行ったと、裁判の際に自らのプロフィールとして証言しています。

 新宮に腰を落ち着けた誠之助は、まさにヒポクラテスの誓いと、帝国主義への挑戦=非戦を続けました。この素晴らしくて面白い男は、自由平等博愛を何よりも愛したのです。

 

 写真は誠之助の妻・えい を演じる女優の明樹さんと、西村伊作記念館にある誠之助のトランク。この銅製のトランクを携えて誠之助はアメリカ、インドを旅しました。新宮に来たら、まず西村記念館へどうぞ!他にも誠之助の作った家具もあります。なにより、甥の伊作の設計は素晴らしく、ドクトル大石の暮らした昔の雰囲気が味わえます。

リターン

3,000


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新宮公演プログラムに御名前を掲載

支援者
65人
在庫数
制限なし

10,000


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新宮の上演パンフレットへの記名
新宮公演のチケット1枚

支援者
46人
在庫数
制限なし

30,000


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新宮公演パンフレットへの記名及びメッセージ記載
新宮公演チケット3枚

支援者
12人
在庫数
制限なし

100,000


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新宮公演パンフレットにA4サイズ6分の1ページ広告を掲載
東京公演3枚、または新宮のチケット5枚

支援者
2人
在庫数
制限なし

300,000


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新宮公演チラシ(1万枚配布)裏面に6分の1スペースに広告掲載
新宮、東京公演パンフレット3分の1ページに広告掲載
東京公演8枚又は新宮のチケット12枚プレセント

支援者
1人
在庫数
完売

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