【お礼とご報告】復興記録誌『青空があるじゃないか』完成
東日本大震災の大津波で、本堂等すべてが流出した徳泉寺を復興しようと、「はがき一文字写経」の勧進を発願いたしました。震災1カ月後に、本尊さまが無事発見されたという奇跡のような出来事があったからです。
流されても、人々の心の支えになろうとする一心で踏み止まったものと信じて、「一心本尊」と名付けました。本堂が再建できた暁には、一心本尊を安置し、その下に写経を納経して、永代に供養するというものです。
苦節九年を経て、全国47すべての都道府県の方から写経が寄せられ、その数約2千枚。添えられた納経志納金が本堂再建につながりました。
徳泉寺の「と」の字も知らず、宮城県山元町も訪れたことのない方が多かったことでしょう。それなのに復興を願って、一心に写経して下さった方々に、これまでの道のりを伝え、完成した姿を見ていただくのが、何よりの恩返しと考えました。
そのための復興誌を製作し、写経ご支援いただいた方にお届けするプロジェクトをクラウドファンディングによって立ち上げました。
昨年6月から約2カ月に亘っての呼びかけ対して、100件を超えるお申込みをいただき、達成率169パーセント254万円という望外の浄財を賜りました。ほうとうにありがとうございまし。
難を逃れた一心本尊さまの功徳もさることながら、遠くても会ったことがなくても、人が人を想う心は必ずつながるものだということを、改めて実感いたしました。
実は「はがき一文字写経」の納経者第1号は永六輔さんでした。永さんは「大津波 全部持ってけ馬鹿野郎」という色紙も残してくださいました。津波よ、何もかも持って行ったつもりかもしれないが、どっこい人が人を想う心や、希望を持つ心までは流されないぞという気持ちを込めた言葉と信じてきました。そして、今その言葉を噛みしめています。
支援者の方々への何よりも嬉しいリターンとなるはずです。
【『青空があるじゃないか』無事に刊行されました】
海から300メートルのところにあって、大津波で何もかも流された徳泉寺跡地に辿り着いたのは、震災1週間後でした。建物の土台だけを残して、瓦礫は全然なく、白い砂浜状態でした。見上げれば恨めしいほどの青空が広がっていました。
思わず「何だ青空があるじゃないか」とつぶやきました。
まだ、青空には見捨てられてはいないぞ、という気持ちです。あの当時、青空があるから大丈夫などと言っても空しく響くだけです。すぐ封印しました。しかし、いつの日かこの青空が復興への出発点だったと言える日を迎えたいと切に願いました。
そこで、復興誌を製作するにあたりタイトルは躊躇なく『青空があるじゃないか』としました。それは単なる報告パンフレット的なものではなく、大震災からどのようにして復興してきたかを伝えて、後世にも残るような本にしようという狙いがありました。
内容は、まず写真で、①震災前の徳泉寺②震災当時の被災状況③建築過程④完成した建物の様子⑤木札に印字して掲示してある約2千枚の一文字写経を掲載。
本文では、①「はがき一文字写経」がどのように進められたかのあらまし②支援者リストに全写経納経者名を県別に掲載・クラウドファンディング支援者名を掲載③復興への道のりを辿る年表(徳泉寺と山元町・世間の流れを対比させて)④テレホン法話で発信してきた徳泉寺に因んだ震災関連の法話などを盛り込んで編集しました。
当初、昨年9月には建物が完成予定でした。しかし、大工さんの作業工程の都合で、大幅に遅れ、すべての完成は今年1月半ばでした。
復興誌には完成した写真を載せる予定でしたので、その製作も遅延を余儀なくされました。クラウドファンディングのリターンとして復興誌をお届けするという約束もなかなか果たせず、たいへん心苦しいことでした。
しかし、やっと青空に見守られて、2月初旬に写経ご支援いただいた方と、クラウドファンディングご支援の方の約2千人に、復興誌を無事お届けすることができました。
とは言え、宛先不明等で返送されてきたものが60通ほどあります。9年という歳月は、どなたにも様々な変化をもたらしたことは想像に難くありません。
復興を待ちわびながらも先立たれた方(永六輔さんも平成28年7月に他界されました。残念ながら復興した徳泉寺をご覧いただけませんでした)、転居された方などもおありでしょう。
(もし写経したのに復興誌が届いていないというお心当たりの方は、徳泉寺復興委員会まで是非ご一報ください【0223-38-0320】。改めてお届けいたします)
そして復興誌発送以来、これまで、全国から100通を超える手紙やはがきそしてお祝い等が、連日寄せられました。重ね重ね有り難く、御礼申し上げます。
「思いがけず立派な本が届いて驚いた「ほんとうに本堂が建ったのですね」「写経したことを忘れていました」「写経した本人は亡くなりました」「あの時自分も被災していたので、他人事とは思えませんでした」「徳泉寺にお参りに行くことをこれからの目標にお金を貯めます」「自分の名前が掲載されて驚きまたうれしかった」「写経掲示の写真を拡大鏡で見て、自分の写経を確認しました」など、復興した徳泉寺の様子を手にして、みなさん我がことのように喜び、祝福のお言葉をいただきました。
そして、東日本大震災から9年の3月11日の午前に本堂客殿落慶法要が営まれました。午後は「はがき一文字写経」のイメージソング「ひとつの心」を歌って、全国に呼びかけてくださった歌う尼さん・やなせななさんのコンサート。
更に15日までを「徳泉寺復興感謝祭5DAYS」と銘打って、写経会・古謝美佐子コンサート・坐禅とクリスタルボウル・絵本訳文貼りのボランティア会・テレホン法話ライブを開催して、再建なった本堂を一般公開しました。
感謝祭開催直前頃から新型コロナウイルス感染の拡大が懸念されたこともあり、大々的な呼びかけは控えました。それでも、県内外から多数の方にお出でいただき、お披露目することができました。
奇跡の「一心本尊」さんを拝み、ご自分の写経がそのまま印字された木札を拝み、どなたも心から感動し喜んでくださいました。
ほうとうにありがとうございまし。
【収支報告】
クラウドファンディングを通じた支援金: 2,540,000
復興誌製作費: 1,975,095
復興誌発送経費: 293,957
レディフォー経費: 466,344
支出合計: 2,735,396(不足分は手出し)
【リターンの発送について】
リターンの品物はすべて発送済みです
「参学コースの」坐禅体験については、感謝祭第3日目に設定し案内を致しましたが、
希望者の方は全員不参でした。
これからもぜひ来ていただきたいと思いますので、ご連絡をいただけると幸いです。
【ぜひお参りいただきたいと思います】
津波で流されながらも「はがき一文字写経」で再建された本堂として、
被災地のランドマークとして存在できるよう、「復興感謝祭5DAYS」で
催したような企画を発信して、
多くの方にお参りいただけるような寺院を目指してまいります。
復興誌のタイトル『青空があるじゃないか』の如く
本堂のガラスに青空が映って、青空も落慶を祝っているかのようである