還暦の赤プロジェクト、代表の佐羽内です。

今日から支援期間中、プロジェクトご支援者様をはじめ、様々な方にプロジェクトに対する思い出やプロジェクトにかける想いなどをご紹介していきます。

 

第1回目は、佐羽内が務めさせていただきます。

 

 

京浜急行1000形との出会い

 

私が幼少期の頃(1980年代後半)は、都心直通運用は1000形が一手に担っていた時代でした。H特急(三崎口~押上・青砥間)や朝、新逗子から京成線方面に直通する急行、そして線内運用でも快特~普通まで活躍の場は多岐に渡っていました。

 

子供の頃、先頭車乗務員室の後方海側が私の定位置でした。1000形は800形や2000形に比べて窓の位置が高く、よく母親の膝の上に乗ってかぶりつきをしていました。

 

特急に乗って、横浜を同時出発した東海道線や横須賀線を神奈川駅通過の段階で抜き去る姿は今も鮮烈に覚えています。小学校に上がると、90年代前半には当時の羽田駅(現:天空橋駅)が開業し、白幕車を中心に品川ー羽田間の急行運用に、多くかり出されました。特急や快特のイメージが強い1000形が急行として走る姿に少し、子供心に寂しさを感じ始めました。

 

▲2017年の京急ファミリー鉄道フェスタでの1351-

 

 

近づく世代交代の波…そして引退

 

日中のH特急が快特に格上げされ、当初白幕車も日中、快特として活躍しました。しかし1500形に加えて600形(2代目)も増備され、白幕車も引退、黒幕車の1000形も続々と8両編成から6両編成に組み換えされました。京浜急行の発展期を大黒柱として支えた名車に世代交代の波が押し寄せたのです。

 

幼少期はいつまでも1000形が特急として活躍すると思っていましたが、次々に優等運用から普通運用の場面が多くなる1000形を見て、世代交代の波を感じました。

 

そして2010年、上り線蒲田高架切り替えを見届け京浜急行から引退となりました。引退後は山梨から何度も久里浜工場の無架線地帯に足を運び、フェンス越しにいつも見ていました。また「ことでん貸切乗車団」の立ち上げメンバー「ツナおじさん(ツイッターアカウント名)」に出会ったのも1000形のおかげです。この方と出会ったおかげで、今度は何度も高松へ足を運び、毎年ことでんで1000形に出会う機会が増えました。1000形は私にとって楽しい時間だけでなく、いろんな人とも繋いてくれたのです。

 

▲引退直後、久里浜工場無架線地帯に佇む1351-

 

 

私の中では今でも京浜急行=1000形

 

そもそも、私が本格的に京浜急行を好きになったきっかけは、小学1年の時、三崎口駅で出発を待つ特急青砥行き1000形の担当運転士さんが、1000形の写真が大きく載った下敷きをプレゼントしてくれたことです。今、思えば運転士さんが乗務員室に到着する前に、私がいつもの定位置でかぶりつきをした姿を見てプレゼントしてくれたのだと思います。2丁ハンドルを華麗にさばく姿はかっこよかったです。

 

大人になった今も京浜急行が好きでいられるのは1000形のおかげだと思います。その1000形を何か形として恩返しがしたいと思い続けて今に至ります。ことでんでは現在も現役車両として活躍しています。今もことでん1080形に乗り、いつもの定位置に座ると子供の頃に帰ったような気がします。横浜駅を出発して東海道線を華麗に抜き去る姿も、讃岐平野を単線でゆっくりと走る姿も1000形は1000形です。

 

きっと今も「京浜急行といえば1000形」とおっしゃる方は多くいらっしゃると思います。ここまで熱中させてくれる車両を何かの形で恩返ししたい…また1000形を今も大事に使うことでんさんにも恩返しがしたい…そんな思いもあります。ぜひ1000形への思いを集結し、製造開始60年をお祝いしたいと強く思っております。ぜひ一人でも多くの方のご支援を心からお願い申し上げます。

 

▲2018年10月に開催されたことでん貸切乗車会2018での1コマ

 

文・写真 佐羽内勇太

 

※メッセージリレーは毎週月・水・金曜日に更新予定です。

このプロジェクトを支援する
(※ログインが必要です)
新着情報一覧へ