ここに、避難ママの葛藤を掲載いたします。 地震、津波、原発事故による多くの被災者にとって、3年経っても、5年経っても、10年経っても、50年経っても過去にはならない現実があることを、当事者として伝えることで、一人でも多くの方に「今のままでいいですか?」問いかけていきたいです。

 

「西へ西へ」

 関東→北陸→関西→九州へ避難した2児の母からのメッセージ

 

以前は原発のことを深く考えることもなく、事故があるまで政府が言っていることをそのまま信じて生きてきた。311後自分たちのまわりにあるものも、食べ物、農薬、添加物等・・・その背後にあるものを想像していなかった。

3月15日関東に濃い放射能のプルームが来ている中、こどもをつれて夫の実家のある北陸に逃げた。でも放射能は微粒子、車に乗ってもマスクをしてもすべてカットできるわけではない。不安になった。

『直ちに影響はない』大人になっても?毎日寝る間も惜しんで情報をとった。

一度関東に戻ったが、みな普通にくらしている。何事もなかったように花見に誘われる。不安を親しいママ友に打ち明けたけど、『そんなこと言っても実際にどうしようもないのだから言わないでほしい』といわれショックだった。

4月の春の強風で液状化の乾いた土に放射能が付いているであろう微粒子が舞っている中、久しぶりの犬の散歩に出る。まだ幼い子供達を家に残すわけにもいかず連れて行った。 帰宅後、直ぐに放射能を落とすためにシャワーをしだが、この頃水にもヨウ素やセシウムがはいっていた。洗っていることが良いことなのか分からず混乱した。

こどもをはぐくんでくれるはずの土、空気、水、すべて恐ろしかった。 避難することに反対し、もはや議論もできなくなった夫を残し、西に逃げた。

行き先は告げなかったが、少しでも夫が安心するようにと夫の親せきが住む関西に身を寄せた。しかし、ここでも理解者は少なく夫や周りの家族から反対され、ののしられ、変人扱いされ、人間不信になった。

子どもにも当たって、何を自分がしているのかわからなくなった。 事故後、自分の心のみにくさと向き合い、葛藤の連続だった。

ずっとかわいがっていた犬を、『いなくなっちゃえば、この子が死んでくれれば、もっと楽になるのに・・・』と思ってしまった。 こういうことが原発なんだ。 愛していたものを捨ててしまいたいという気持ちになってしまうことが。それが原発がもたらしたものなんだ。

子供を守りたい。

でも悲しくて、寂しくて、辛くて・・・これでは子供たちを守ってあげれているのか分からない。

奇跡的にひどい汚染をまぬがれた九州へ、唯一避難を勧めて待っていてくれる友人がいたので九州に避難した。

いまは周りの温かさに触れ、自然に癒され、原発事故から初めて幸せだと感じられる時間を過ごすことができている。九州に来て心の平安を取り戻し、自分が変わったのか、夫と以前よりもわかりあえた。夫もまた、こちらの自然に癒されている。

しかし事故後の初期被曝のかげに怯える日々。娘も当初手の指先の皮が向け、リンパがはれ、爪も目の状態もおかしかった。

先日、福岡に避難している関東のホットスポットにいた友人の知り合いのお子さんが白血病を発症した。本当にショックだった。時折自分のこどもたちに出る被爆症状のかげにおびえ、体調がすぐれず、元気がないとやはり心配になる。

これからは未来のため、こどもたちの為に私たちが学んでいかなければならない。 以前は見たくないものがあると見ないようにしていた。 今は誰かの犠牲の上にある豊かさなんてないと思う。

これからは少しの不便さを楽しめる心のゆとりを持ち、人も動物もみなが幸せに、そしてつつましく生きていけたらと思う。

 

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