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 朝日が部屋に差し込んできた。テーブルの上にはインクのにじんだ紙が何枚も散らばっている。

 屋敷を調査した報告書だ。本当は書く必要もなかったが、ジェームスは何かしていないと落ち着かなかったのだ。

 一睡もせずに夜を明かした。睡眠薬でガーソンを寝かしてはいたが、自分が寝ている間に寝首をかかれるともわからない。

 空のベッドの隣ではガーソンが気持ちよさそうに寝息を立てている。自分で寝かしつけたとはいえ、あまりにも熟睡しているその姿にジェームスは羨ましくも呆れていた。

 ジェームスは懐からナイフを取り出すと、ガーソンの首に突きつけた。あとほんの少し力を入れれば彼の命はない。

 自分を本当の兄のように慕い、勇気を振り絞って諭した彼を、ジェームスは内心愛し始めていた。純粋に自分を見つめる瞳は嘘偽りのないのではないかと期待していた。

 だが、やはり現実は違った。

 ジェームスはこの部屋に戻るとすぐにガーソンの所持品を調べた。例の小瓶を見つけた時、ジェームスは少しでも彼を信じようとしていた自分に腹を立てた。

 自分の推測通りだったことを確認すると、ジェームスは仲間にアルセイドを殺すように指示を出した。残る裏切り者はガーソンただ一人だ。

 ナイフを持つ手にぐっと力が入る。だが次の瞬間にはふっと笑みを落としてナイフをまた懐にしまった。

 この男が自分をどう殺そうとするのか興味があったのだ。毒がないと気がついた瞬間、どのような行動をするのかも楽しみだ。

 善人面した化けの皮が剥がれた時、どのような顔を見せるのだろうか。

「今のうちにゆっくりと休んでおくがいい。目覚めたら地獄が待っているのだから」

 不敵に投げかけた言葉にはどこか寂しさがこもっていた。

 やはり人ほど信用できない生き物はいないのだ。人など信じてはいけない。

「愛します。・・私はあなたを・・」

 プリムローズのか細い声がジェームスの耳に蘇った。うわ言のように言ったその一言が彼の手元を狂わせた。

 昨夜の自分はどうかしていた。愛などというものに耳を傾けてしまったのは、この男があらぬ希望を持たせたからだ。

 見届け役という役が、どれだけ残酷な役割なのか身をもって思い知らせてやる。

 ジェームスの胸中は冷たい風が吹き荒れていた。ガーソンに背を向けると、標的の待つ部屋に向かった。

 ドアをノックすると、向こうから現れた顔は神経質に顔をこわばらせていた。

「ハンス様。いかがされました」

「そのお言葉を君に返すよ、リチャード君。浮かない顔をしているが何かあったのかね」

「いえ、お客様の心配されることではありませんので」

 ジェームスは落ち着かないリチャードの視線に合わせた。

「お嬢様が出ていかれたきり戻ってこられないのではないですか」

 驚いて息を飲むリチャードにジェームスは内心ほくそ笑んだ。

「昨夜ネグリジェで裸足のまま外に出られるのを見かけたのですよ」

 リチャードは表情を曇らせてジェームスから視線を逸らした。その隙にジェームスはすかさず部屋の中に入りドアを閉めた。

「もう、お気づきだとは思いますが、お嬢様は気が狂ってしまわれた。谷の麓の町では丘の上のオフィーリアだのと噂する者もいます」

 その噂がアルセイドの耳にでも入ったのだろう。ジェームスは冷静に分析しながらも、殺しの計画を同時に頭の中で算段し始めた。

「ほう、オフィーリアですか」

 ジェームスはそう相槌を打ち、楽しそうに顔を歪めた。満足げに葉巻を取り出すと煙をくゆらせながらリチャードを眺めた。

「それではハムレットはずばりあなたですね。彼も恋人の父親を殺したのですから」

 その言葉にリチャードは真っ青になってジェームスを凝視した。立っていられずに傍にあった椅子にもたれかかると、しばらく声も出なかった。

「なぜそれを・・」

 やっと漏れた言葉にジェームスはほくそ笑んだ。

「認めるんですね。自分の犯行を」

「私にはわからない。あなたはいったい何者なんですか」

「ハイキングに来て道に迷ってしまった、ただの愚か者ですよ」

 楽しげににこにこと笑うジェームスに、リチャードはただならない不安を感じた。

「嘘だ。いったい何しに来たんですか」

 リチャードが声を荒げてもジェームスには小気味がいいだけだった。

 葉巻をテーブルに押し当て捻り潰すと、殺気のこもった視線をリチャードに投げた。

 その様子にリチャードは震え、両腕を組んでその体を押さえた。この得体のしれない男をプリムローズに近づけてはならない。意を決してリチャードは口を開いた。

「認めます。私はプリムローズ様の目の前でご両親を殺害しました。恋人の私に愛する両親を奪われたため、お嬢様はあのように気がふれてしまったのです。私が目を離した隙に崖から飛び降りようとしていたこともありました。これ以上彼女の幸せを傷つけたくない。彼女を新たに守ってくれる人が現れるまでは、私がそばにいないといけないのです。自首をしますからそれまでは内密にしてください」

「かわいそうだが、それは無理ですよ」

 懇願の訴えをジェームスは一笑して振り払った。

「お願いします。このままではプリムローズ様は一人になってしまう。あなたは警察ではなくて探偵なのでしょう」

「いいえ」

「じゃあ、あなたはいったいなんなのですか」

 たまらなくなりリチャードは怒鳴ったが、そう相手が心を乱せば乱すほどジェームスにとっては快感だった。

 ジェームスは部屋の中をゆっくりと歩き回り、壁に飾ってあった剣を手に取った。

「いい剣ですね。亡くなられたご主人の趣味ですか」

 言いながらそれを取ると、鞘から抜いてその白刃の美しさに見惚れた。

「ごまかさないでください。あなたはいったい何者なんですか」

「ごまかしてなどいませんよ。私はある目的があってここにいるし、その目的は君の知りたがっている私の正体とも関係している。この剣を使えばさぞ楽しいでしょうね」

 穏やかにジェームスは微笑むと、困惑しているリチャードにその剣を手渡した。自分の分も取って鞘から抜くと、剣先をリチャードに向けた。

「さあ、構えてください。失礼ですが、ハムレットの最期はご存知ですよね」

「まさか・・」

 不吉な予感を察し、リチャードはさらに顔色を悪くさせて狼狽した。

「そうですよ。ハムレットは剣で戦った後に死ぬ。君らしい死に方だとは思わないかね」

「待ってください。冗談じゃないですよ。なぜ私が殺されなければならないんですか」

「非常に気の毒だが、理由などなくても依頼されれば仕事はしなければならないのでね」

「じゃあ、あなたは殺し屋・・」

 ジェームスはがたがたと震えだして、とっさに剣を盾にした。

「だが今回は依頼主も消えることになったのでね。君にも生きる選択を与えてあげようと思うのだよ。幸い君も今凶器を持っている。私を殺せば君は助かるでしょう」

「そんな無益な戦いはしたくありません。依頼主がいなくなるのであれば、殺す必要もないでしょう」

「すまないね。楽しそうな殺し方を見つけてしまったからには後戻りができないのだよ。それに少々君が邪魔になったのでね」

 冷たい視線にリチャードは背筋を凍らせた。後ずさりをするが、すぐにジェームスに間を詰められる。

「私が何をしたというのですか」

「そうだとも。一使用人を殺すためだけに私のような殺し屋が依頼されると思うかい。私がここに来た一番の理由を知れば、君は居ても立ってもいられないだろうね」

 その言葉にリチャードは大事な女性の影を見た。

「おまえ、まさかプリムローズ様を」

 震える声にジェームスは笑って答える。

「ご名答。依頼主の本来の目的はプリムローズを殺すことだ。察するに一族にまともでない人間は不要ということだろう。でも安心してください。彼女はまだ生きています。あなたを殺した後にじっくりと始末するつもりですからね」

 リチャードの剣に交えると、ジェームスは不敵に笑って見せた。

「どうです。戦ってみたくなったでしょう」

 リチャードは生唾を飲んで相手を凝視した。

「どうやらそうするしかなさそうですね」

 プリムローズを守らなければ・・その決意が彼に勇気を与えた。落ち着いたグレイの瞳が静かに燃えだすのを見て、ジェームスは満足げに微笑んだ。

 朝日が窓から差し込んできた。剣先にその光が反射してジェームスが顔をしかめると、リチャードの剣がジェームスの頭上に振ってきた。

 とっさに剣が交わる。

 のしかかってくる重さに耐えきれず、ジェームスは相手の腹を蹴飛ばした。よろめいている間に容赦なく突きにかかる。リチャードは逸早くそれに反応し、剣を盾にする。

 激しい攻防戦が続いた。剣が空を切るたびに金属音が鳴り響き、それに合わせて火花が舞う。

 ジェームスはここまで相手が強いと予想していなかった。少なくともプリムローズの名前を出す前は、リチャードは剣を盾にしてただ怯えきっていたのだ。

 プリムローズもそうだ。死を間際にしても微笑んでいたのに、リチャードの名前を出したとたんに震えだした。

 愛がそこまで人を変えるのか。そう思うと無性に虚しくなり同時に憤りを感じる。

 これから死ぬ人間に、そんな感情など必要はない。

「昨日、プリムローズの花畑で彼女を抱いたよ」

 リチャードはその言葉に敏感に反応した。隙ができたところをジェームスは見逃さなかった。紅い飛沫とともにリチャードの肩がえぐられた。

 だが負けじとリチャードも攻撃の手を緩めない。剣先に触れたジェームスの髪が床に舞い落ちる。

「口づけをするごとに花の蜜のような甘さが口の中に溶け込んできた。月光の下、露になった少女の体はまだ初々しかったよ」

「黙れ」

 怒りに任せたリチャードの剣は、なかなかジェームスを捉えることができなかった。大振りになった剣を避けながら、ジェームスはさらに挑発を続ける。

「私に抱かれているときのあどけない表情がたまらなく愛おしかったよ。君はそんな彼女の顔を見たことがあるのかい」

「今、黙らせてやる」

 勢いよくリチャードはジェームスの剣を跳ね飛ばした。両手が空になったジェームスの頭めがけて白刃を振り下ろした。

 だが、地に足をつけたのはリチャードだった。

 自分の剣が飛ばされた直後、とっさにナイフを出してリチャードのわき腹を刺したのだ。

「なかなかやるじゃないか。思わず本気を出してしまったよ」

 うずくまっているリチャードにジェームスは冷笑を浴びせた。

「君のように感情のある人間は殺すのが簡単だよ。余計な気持ちなど持ち合わせているから、生きられる命を無駄にする」

「感情のない人間などいるわけがない。それこそ生きている価値もない」

 重傷を負っているにもかかわらず、リチャードの眼光はさらに鋭くなっていた。

 そのいまいましい姿にジェームスはまた怒りが込み上げてきた。

 大事な人を守ろうとするその姿が、昔の自分を思い出させる。捨てた自分をよみがえらせる。それが今の自分を糾弾するのだ。

「まだ吠える元気があるようだね。今の君に私を倒せるはずもないのに」

 言うや否やリチャードを片手で羽交い絞めにした。リチャードは必死に抵抗するが、傷が深くて身動きが取れない。

「ハムレットの死因は傷ではなく毒だからね。私の相棒が隠し持っていた毒だからどんな症状が出るかわからない。楽しみだよ」

 ジェームスは抵抗ができないリチャードの口を無理やり片手でこじ開けて毒を流し込んだ。

「ああ。全部はあげないよ。半分は相棒のために取っておきたいんだ」

 無表情にそう言い放つとリチャードの顎を上げて無理に飲み込ませた。

 ジェームスはリチャードが命乞いをしてくるのを待った。死を直前にした人間はどうにかして生きようともがくものだ。その無様な姿を見て優越感に浸るのだ。

 だが耳に届いた言葉は希望したものとは違っていた。

「プリムローズ・・どうか彼女だけは助けてくれ」

 ジェームスは耳を疑った。それと同時に胸が締めつけられるのを感じた。

「自分の死より他人の死を恐れるのか」

「彼女は他人なんかじゃない。子供の頃から召使の私をいつもいたわり、誰よりも深く愛してくれた。旦那様のお怒りを承知で結婚を申し込んだのに、暴言に耐えきれずに手をあげてしまった。その瞬間、私はこの世で一番幸せになってほしい女性を、一番不幸にしてしまったのです。気が狂うほど苦しんだ彼女をこれ以上不幸にしないでください」

「守りたいなら私を殺せばいい。できるならね」

 ジェームスはとどめを刺すことなくリチャードに背を向けた。

 これ以上、リチャードを手にかけようという気持ちが喪失したのだ。彼のプリムローズを想う気持ちには勝てないと悟ったからだ。

 部屋を出ようとするジェームスを追う力はリチャードには残されていなかった。毒が回ってきたのか座る体力もなくなり、そのまま床に伏した。

 遠ざかる意識の中、ドアの閉まる音がした。

 

 

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